じゃりン子チエ 第9話 「テツの家出?」


■いつもと違う朝

トントントンと響く包丁の音。

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その音で目が覚めたチエちゃんですが、
テツもすでに起きているようで、今朝はチエちゃんは一番遅く起きたようです。
いつもと違って、今日は家にお母はんがいます。

お母はんとお父はんがいて、子供よりも先に起きている。

普通の子供にとってはめずらしくもない光景ですが、
普通の子供であることをやめ、一家の大黒柱としてふるまってきたチエちゃんには、
そんな些細なことが素晴らしい出来事だったのです。

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感情を全身で表すチエちゃん

昨日から夫婦の別居生活が終わって、竹本家は晴れて元の家族構成に戻りました。
これも花井拳骨の導きと、なによりチエちゃんの努力のおかげでしょう。

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寝ている間に模様替えされた部屋は、これまでの殺風景さと打って変わり、親子三人の生活様式になっています。
幸せをかみ締めるように狭い部屋を見てまわるチエちゃん。
その風景の中には、料理をするヨシ江もいます。

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チエちゃんが寝ていたのを除き、布団はすでに片され、
かわりに出された卓袱台には食器が用意され、傍らには炊飯釜が置かれています。
あとは味噌汁だけで朝食が始められるようになっているようです。

テツと二人暮しのときにはチエちゃんがやっていた仕事を、いまは母親がてきぱきとこなしています。

この朝ごはんの支度の様子は、日常生活のささやかな幸せの象徴であり、
この光景を、日本一不幸な少女であるチエちゃんの目を通して見ることで、我々視聴者も普段みすごされがちな自らの生活の中の幸せを再確認できるのではないでしょうか。


手際よくネギを刻んで味噌汁に入れるヨシ江、
日本の朝の風景。

さて、幸せそうな二人と対照的に、この状況が面白くないのはテツです。


「邪魔なもんばっかりじゃ」

いままで自分の好き勝手に過ごしてきた部屋に、
水屋(食器箪笥)や鏡台など、ヨシ江の私物が運び込まれ、
一気に部屋が女臭くなってしまいました。

母親の影響で女らしい仕草をみせるチエちゃんに、とうとうテツのやり場のない怒りが爆発しますが、すかさず冷静なチエちゃんのツッコミが入ります。

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「うち女やんか。忘れてるんとちゃうか」

たぶんテツだけでなく、チエちゃん自身も忘れていたのでしょう。
そもそもチエちゃんは、テツとヨシ江はんの遺伝子をバランスよく受け継いでいます。

ですから、テツと二人暮しをしているあいだはテツとウマがあい、似たもの親子の仲の良いどつきあいのような間柄になるのですが、
ヨシ江が生活の中に入ってくることにより、チエちゃんに今度は常識的なヨシ江と共鳴する部分が多くなるのも仕方ありません。

しかしこれは非常識なテツにとっては、自分のテリトリーに異物(常識的尺度)が入ってきて居心地のいい(非常識な)城が崩壊することを意味します。
そもそも結婚は、自分のテリトリーに他者を受け容れる行為ですから、
結婚自体が向いてなかったのかもしれません。


■花見の賑わい

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「メシなんか食いたないわい! お前ら女で勝手に食え」

結局、憤懣を発散させるために彼の選んだ行動は逃亡。
椅子を蹴飛ばして暴れるよりは、よほど善良で賢い選択です。
これは女ふたりへの精一杯の抗議をこめた家出もどきなわけですが、この家出もどきがいつまで持つのかは明白。
テツが家人とケンカ別れをするとき、彼には逆らいようのない不利なルールがあらかじめふたつ定められています。

ひとつめのルールは、家をでたあとの彼の足取りが示しているようです。
テツの足は意識せずとも、賑やかな、人のいる方へと・・・

このことは、あとでテツが本当に家出をするシーンで描かれた百合根のセリフで率直に現されています。

「テツの性格はしってるやろ。あいつは遠くへ行くような男やないんや」
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 ↑家出のたびに居候される人

さて家をとび出したテツはいつのまにか満開の桜の下に。
孤独な男が賑やかな花見客の中を練り歩いていきます。

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「孤独や」というセリフと裏腹に、かなり人気者のテツ

 「寿司食うか」
 「かりんとうもあるどー」 
 「スルメ食べるか」

花見客は顔見知りだらけ。
テツの好物のかりんとうをはじめ、食べ物を手にした人々が次々にテツに声をかけてきます。

花見の席という場所柄もあり、ここでは食べ物がコミュニケーションツールとして活用されているのが見所です。
たしかに、しかめっ面のテツを呼び寄せるには食べ物で釣るのが効果的といえます。
ここまでしてテツの気を引くのはテツが人気者である証し。
それを無視して、孤独を満喫するぜいたくなテツなのです。

そんなふうにして家を遠ざけてぶらついていたテツですが、夕暮れになると時限爆弾が炸裂します。
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「いかん わし完全に腹減っとる」
「しょうもない家やけど帰ったる。とりあえずメシだけは食うとかんとな」

ふたつめのルールは、空腹です。
怒りに任せて家を飛び出したテツも、ようやくこのゲームのルールを理解した模様。

・遠くにはいかない
・おなかが減ったらとりあえず帰る


このルールは家出に限らず、そのままヨシ江はんとの結婚生活のルールなのかもしれません。
以降この家は、テツいわく「メシを食うためだけの家」となります。


■疎外のスキヤキ

さて、メシを食うために”帰ってきてやった”テツですが、
そこには予想だにしなかった光景と展開が。

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竹本一族+花井拳骨がスキヤキ鍋を囲んで団欒しているのです。
贅沢なスキヤキを囲んでる輪の中に自分だけがいない。
他人の拳骨や猫まで混じっているのに、なんてことでしょう、
誰もこの家の主である自分を待っていてくれなかったのです。

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 遠慮など皆無の拳骨

これだけでもショックなのに、
デリケートなテツのブロークンハートに、極めつけの一撃が。

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「おっちゃんあかん それ最後の肉や」

唯一テツの気持ちをわかって・・・いえ、テツの扱いに慣れたチエちゃんが、
どたんばで、まずいことになっているのに気づきましたが、ときすでに遅し。

「チエちゃん なんかゆうた?」
ぺロッと最後の肉を食ってこの台詞。
さすがです。

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おばあはんも、肉の減り方が早いのに気づいてなかったようです。
家をとびだして食事時にも帰ってこない男を全員空腹で待っている義理はないというだけの話で、
べつに皆、テツに食わせる肉はないとまで思ってはいなかったのです。

しかし荒っぽい元教育者の拳骨だけは見解が違うようで、
テツに一切の甘えを許しません。

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ネギを食えというご無体な拳骨

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「お前らわしをなんや思・・・!」

最後までセリフを言えずに泣きが入ってます。
ふだん好き勝手をしておきながら、こういう疎外にはことさらダメージを受けてしまう繊細なテツ。

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考える前に行動に起こすのがテツであり、金以外の借りは必ず返すのもテツです。
ダッシュで家を出て行くと、すぐにまた戻ってきました。
帰って来たテツの手には肉屋の竹皮の包みがぶらさがってます。

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「こら貧乏人 これみてみい!」

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包みの中身は、油ののった牛肉。
値段も安くはなさそう(バクチのためのタネ銭を少し持っていたのでしょうか)。
食べ物の恨みは食べ物でキッチリ返す。
これが彼の思いついた精一杯の報復です。

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「ビフテキじゃー!」
「わしひとりで食うんじゃー おまえらヘタの油もやれへんど」


冷や汗をかきながら無理して笑顔をつくりますが、
拳骨の指示が行き届いているので、そんな必死の虚勢にも皆はしらんぷり。
攻撃しているときは守りがおろそかになるものですが、
テツの足元を見ると、こっそり小鉄が近づいてますね。

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あっ、やりました。


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肉をくわえたまま脱兎のごとく走り出す小鉄。

ところで、この画面はどこかおかしいですね。

そうです、小鉄は手を使う猫。
なのに口に肉を加えて走るなどという、まるで猫のようなことをしています。
その理由はただひとつ。「手」を自由にする必要があるためです。

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追いすがってくるテツに、椅子を掴んで横にして置き、即席のトラップを仕掛ける小鉄。
椅子に足を絡めとられたテツは哀れ、路上で伸びてしまいました。

このときのテツのセリフは傑作です。
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「くそーくそー ほんまの孤独になりそうやー!」

彼は、自分が本当は孤独ではないことに、ちゃんと気づいていたんですね。
実にテツらしいセリフです。

日よけの上では、テツを頭脳プレイで見事しとめた小鉄が戦利品にかぶりついています。
 
舌なめずりのあと、自分の歯型がついた箇所にもう一度歯をあて、ぶちりと引きちぎり、
うまそうにむしゃむしゃと噛み砕きます。
見栄っ張りのテツがメンツをかけて買って来た肉ですから、上等の肉のはず。

これでは、本当にテツが可愛そうな気もしますが、これはいわば彼の幸せの代償なのでしょう。
テツのような幸せ者は、どこかで不幸せになってこそ釣り合いが取れるというものです。
こういうところでコツコツ不幸せになっていかないと、いつかとんでもない災厄が訪れますよ。本当。


■ひとりの朝ごはん

翌朝、チエちゃんがヨシ江はんと拳骨を見送っています。
ヨシ江はんは、今朝から働きに行くのです。

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女房が働きに出かけたそのとき、その夫は何をしているかというと・・・

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見事に寝てます。
そんなろくでなしのテツを起こそうと揺さぶるチエちゃんの顔はなぜか笑顔。
両親のふたりが家にいるだけでチエちゃんは(当面の間は)幸せなのでした。

もともとテツには誰も何も期待してないのです。
チエちゃんが店をやっているので収入はありますし、扶養家族が一人いるだけの話。
拳骨がヨシ江はんに仕事を紹介したのは、テツの性格を考えて夫婦生活が長続きするよう配慮したからのこと。
ふたりを昼間のあいだ一緒にしないためです。

昼間テツが働いてなくて家にいるのだからしょうがありません。
仕方なくヨシ江はんに仕事を紹介して、ふたりの距離を引き離したというわけです。
ふだんがさつな拳骨にしては、これは非常にデリケートで気の効いた配慮だと思います。

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さて、朝寝坊かに見えたテツ、実は狸寝入りでした。
ヨシ江が仕事に出かけたと知って、水を得た魚のように生き生きと動き出すテツ。

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宿敵ヨシ江のいない隙に、さっそく自分のテリトリーを広げるべく、チエちゃんを取り込みにかかります。
そんなテツの後ろにさっきから見える白い布ですが、
これはヨシ江が朝寝坊の(働かない)夫のために用意しておいてくれた朝ごはんなのです。

そんなヨシ江の心遣いも知らずに「ばんざーい」と無邪気にはしゃぐテツ。
右に見えるヨシ江の用意した朝ごはんと無邪気なテツが並んで対比されるような構図は、どこか残酷な描写にも思えます。

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自分を起こしてくれた娘と遊べると大喜びしているテツですが、
しかし、一日中ヒマなテツと違って勤勉な少女チエちゃんには、これから学校に行くという仕事があったのでした。

娘と一日遊ぼうという計画を立てているテツに、おどけた様子でフェイントをかましたチエちゃんは、べつにテツをからかっているわけではなく、むしろその逆。
起きたときに誰もいなかったらテツが寂しがると思って、学校に行く前にわざわざ起こしてくれたのです。
「サービスしたんよ」というおどけた口調ですが、彼女のこの行動には見かけ以上の愛情がこもっているとしか思えません。

先の花見の描写もそうですが、この回は、テツが孤独どころかつくづく幸せものだということが、とてもよく実感できる回です。
テツは孤独を標榜するただの寂しがり屋なのです。

それを見透かすようにチエちゃんが言います。

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「ひとりで食べるのは寂しいよ」

このチエちゃんの愛情のこもったからかいに、「女がおらんとせいせいするわい」と憎まれ口を言い返したテツですが、
いざチエちゃんが学校に行ってしまったあとのテツは、食事をなかなか始めませんね。

「お膳の上にあるから」といわれた食事にかけられた布は取り払われています。
メニューをみると、たくあんと、里芋の煮物でしょうか。
煮物には里芋と一緒に煮ると相性のいいイカが入っているように見えます。
味噌汁とごはんは、自分でよそってくれということのようです。

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テツが茶碗を箸で叩くとチ〜ンと音がします。
まるで仏壇に置かれたお鈴を鳴らすみたいです。
その音を確認するように何度も繰り返すテツ。
どことなくお通夜のようです。

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   チ〜ン…    チ〜ン…

家族のでかけたあとの家では、茶碗の音色はいっそう大きく寒々しく響くように聞こえます。
いつまでもチ〜ンと音を鳴らし続けるテツなのでした。

意地を張らずに、もう少し早起きして家族みんなで食べたら、きっと美味しい朝ごはんだったでしょうにね。




...おまけを読む (作品の感想と解説)

じゃりン子チエ 第8話「母は来ました」


■ 夢の中の大福

今日は大事な日。チエちゃんの勝負の日です。
なんとしてでもテツに起きていてもらわねばなりません。
しかし、チエちゃんの決意をからかうように、テツは安らかな寝顔でぐーすかと寝ています。

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どんなに起こそうとしても起きないテツに業を煮やしたチエちゃんは、
耳元で大声で叫んで起こそうとします。
これにはさすがのテツもたまらず布団から跳ね起きますが、
まだ夢の中にいるらしく、現実と夢を混同した会話が始まります。

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「うるさいわい! 食事中じゃ〜!!」

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「くそ〜 あんな大福二度と食えんど。座布団ぐらいあったのに」

「なにアホな夢みてるねん」

食い物の恨みは恐ろしいとはいいますが、
「夢の中で食べ損ねた食べ物」のことで恨みを買うことほど馬鹿らしいことも、そうはないでしょう。



・ 『じゃりン子チエ』の夢の描写


『じゃりン子チエ』では登場人物が睡眠中に見る夢の描写がわりと頻繁にあります。
夢の内容は見る者によって傾向は違いますが、そのほとんどが脈絡のないシュールな彩りのものばかりです。
その描写のあまりの荒唐無稽さ、脈絡のなさは「これこそ夢」というべきもので、その意味ではぞっとするほどリアルな描写だとすらいえます。

夢は、睡眠中の大脳が、増えすぎた情報を整理整頓する過程で見るものだという説がありますが、
(パソコンのハードディスクのデフラグ作業によく例えられます)
だとすれば、人間が見る夢は、起きている間に経験したことの再構成であり、その人の精神状態の映し鏡でもあります。



     テツの夢

テツの夢には明らかに傾向があり、「食べ物」「家族に捨てられる」 夢が多いようです。

まず「食べ物」ですが、一般にマンガやお笑いでちょっと足りない感じのキャラクターを表現するときに、
「食べ物の夢を見ている」という描写をしているのをよくみかけます。
それは食欲が本能に直結した原初的な欲望であり、
 食欲は知的な欲求とはかけ離れている=食べ物の夢を見る人は知的ではない人
と、こういう意味合いが含まれているのでしょう

夢に出てくる「食べ物」はそのままテツの食欲の投影でであり、
この部分は、彼の極端に抑制された性欲と背中合わせになっているように露骨にふだんの生活に現れていますから、
本能に従って生きているテツの描写としては順当なものです。

問題はもうひとつの「家族に捨てられる」という要素です。
テツという人間の深層心理の奥底にある要素が、食べ物の他にはこれくらいしかないと考えると、かなり悲しいものがありますが、ふだんの傍若無人で能天気な顔のその裏に、こういった哀愁を隠しているからこそ、テツというキャラクターにぐっと深みが出ているともいえます。

そのことをセリフなどで直接描かずに、説明不足なくらいの夢の連作で描くという手法は非常に巧みな人間描写だと思います。


第4話にでてきたテツの夢のシーン
(このあと二人に逃げられます)
↓詳細はこちら
じゃりン子チエ 第4話 「テツの薬はゴロンパー」
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第36話でのテツの夢
嫁と子供にはすでに逃げられているという設定。
テツが心の底で一番恐れていることの現われ。



      チエちゃんの夢

一方、娘のチエちゃんの夢にはテツがよく出てきます。
夢の中のテツは様々な状況になっていますが、
それはそのまま、彼女がテツに抱いている様々な気持ちの表れでもあります。


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第45話でのチエちゃんの夢

テツがボクシングのチャンピオンになっています。

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「うち今日からテツをお父さんと呼びます」
この寝言は、彼女の無意識の願望が表出したものでしょうか・・・

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「もうテツには何にも期待せん自信があったのに…」


自分がまだテツに父親らしさを求めているのではないかと思い当たり、
自己嫌悪に陥るチエちゃん。


このほかにもアニメ化はされませんでしたが、
テツが死亡してしまうという夢をチエちゃんはみています。(コミックス12巻)

それがチャンピオンの夢のときのような「願望の現れ」でないことは明らかで、
このことはチエちゃんがテツの名前を寝言で呼び続け、夢の中では涙を流していたらしい描写があることからもハッキリしています。
このときテツは、市議会議員に立候補したレイモンド飛田の選挙活動でピンチに陥っていて、
チエちゃんはテツの事情には無関心で、自分やテツ以外の家族の心配ばかりしているようでしたが、心の底ではテツのことを一番心配していたのでしょう。

どちらの夢も子供の見る夢としては切なさがあり、
その哀愁は、テツの夢のそれと共鳴して一層深い哀愁の影を作品に落としています。
こういった要素は、ふだん明るいドタバタコメディである『じゃりン子チエ』の隠し味になっているのです。




...おまけを読む (作品の感想と解説)

じゃりン子チエ 第7話 「テツの最も恐れる日」


■テツの好物かりんとう

今日は家庭訪問の日です。

チエちゃんの担任の花井先生が、向かい合ったテツにやけに親しげに話しかけてきます。
先生のこの態度に、やはりテツも調子が狂うのでしょうか、先生と目を合わさずにボリボリとかりんとうを食べていますね。
テツはかりんとうが好物なのですが、酒も飲めない甘党の彼が気軽に食べられるスナックはかりんとうくらいなのでしょう。

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この日テツは最初から、先生とあまり目をあわせていません。
この間の授業参観のとき、あれだけ脅しておいたのに、この馴れ馴れしさ。
計算どおりに行かない相手に、内心テツもビビっているのでしょう。
よく見ると、額には汗が。
拳よりも精神的なプレッシャーに弱いテツの内面が、こういうさりげないところに垣間見えます。


恐らく、この「目を合わさずかりんとうを食べる動作」とテツが感じている 「プレッシャー」には深い関係があり、
またそこには「食」の意外な側面が隠れていると思うのですが、
このことに関しては、テツがかりんとうを食べているシーンが再びでてくる、第11話 「金賞!チエちゃんの作文」 の回のほうがわかりやすいので、そちらで詳しく取り上げたいと思います。



■ チエちゃんの飲酒


さて、テツをもビビらせた花井先生の余裕の態度でしたが、
このときの花井先生の態度には、強力な裏づけがありました。

彼はチエちゃんの小学校の担任ですが、彼の父親もやはり教師でした。
そして、その人はテツの小学校のときの担任であり、ヨシ江はんとの仲をとりもった仲人でもある人物。
花井拳骨だったのです。

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スルメと一升瓶をもって乱入してくる初老の男性。
花井拳骨の初登場シーンです。

◇劇場版との違い

劇場版では、原作に準拠したTVアニメと違って、構成をかなり大胆に変えています。
この家庭訪問での飲酒シーンは、劇場版では、ヨシ江が家出から帰ってくるエピソードと直結しているので、
竹本一族と花井親子が勢ぞろいしてのお祝いの酒の席になっています。
そのため、問題のチエちゃんの飲酒場面も、驚くおばあやヨシ江の目前で繰り広げられることになります。
(その動画の一部はテレビ版にも使いまわしています)


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「なんか足らんな。ここに酒があってなんかが…」
露骨な催促をする拳骨。遠慮という言葉がもっとも似合わない人です。
さすがテツの天敵だけあるのでした。
「肴や。ウチホルモン焼いてきます」
気の効くチエちゃんは、すぐに台所に立ちます。

普段省略されているチエちゃんのホルモンを焼き始めるまでの手順がここで描写されています。
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おばあがいつも自転車で運んできて置いていくホルモンは、この冷蔵庫の中にしまってあるのですね。

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ガス台に点火装置はないようで、着火はマッチでやります。
火をつけたあと手を振ってマッチの火を消し、そのまま右下に見える缶に放り込むまでの流れるような動作が鮮やか。
いつもやっている手慣れた作業だということが、この動きだけでも一目瞭然です。


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ホルモンから煙が立ち始めると同時に、ひくひくと動く小鉄の鼻。

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「お前もおいで、一緒に食べよ」
小鉄は実に素直な顔でニャーと鳴いて大喜びです。

その小鉄に「猫と人間を分けて考える少女」という評をされたこともあるチエちゃんですが、
人間と同じように猫に接してくれる事だって、たまーにはあるんです。
小鉄が家族扱いされているこのような描写などは、とても温かみがあって良いですね。

劇場版ではお母はんが帰って来てその嬉しさのあまり、ご祝儀で小鉄もお相伴に与れるという意味合いが加わってしまってるので、原作に準拠したこのテレビ版での 「一緒に食べよ」のほうが小鉄にとっては価値があると思います。そしてそれは視聴者にとっても同じことがいえると思います。

※ …テレビ版も、テツの家出の時系列が原作とは若干違い、そのために冒頭でのマサルやタカシのセリフなども若干変更されています。


さあ、ホルモンも焼け、宴の準備が整いました。
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いよいよ問題のシーンとなります。
「こんな悲惨な家族とシラフで付き合えるか!」と、最初からかなり出来上がってる様子の拳骨でしたが、
ついに周りにも酒を勧め始めました。

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「今日はみんなで飲む! 飲んで飲んで、日ごろのモヤモヤを吹き飛ばすんじゃ!」

酒の飲めないテツはもちろんのこと、なんと娘のチエちゃんにも「飲め」と言い出します。
現役教師である(息子のほうの)花井先生は、さすがにこれを止めようとしますが、
「バカタレ! お前みたいな教科書どおりの教育で、この異常な一家を立ち直らせられると思うとるのか」
という怒声とともに殴り飛ばされてしまいます。

拳骨の勢いに気おされたのか「うち飲む」と決断し、飲み始めるチエちゃん。
テレビアニメではめずらしい小学生の飲酒シーンです。


一気飲みするチエちゃん


「けっこうおいしいわ」

と言ったとたん、しゃっくりがとびでます。
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一方飲めない酒を無理やり飲まされて涙目のテツ。
泣くテツの姿などめったに見れないのでこれも貴重です。

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「どんどんいけ。 お前は大人以上に苦労しとる」

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ドンチャン騒ぎは朝まで続き、下戸のテツは店の表に吐いてます。
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さて、ここから少し話を広げて、アニメにおける飲酒シーンの規制の話をしたいのですが、
その前に『じゃりン子チエ』においての、このチエちゃんの飲酒シーンについて、私個人の意見を先に語ってしまいたいと思います。

作中の拳骨は破天荒な人物であり、その初登場となるシーンで破天荒な振る舞い、つまり子供に飲酒を勧めることを含めた無茶な行動をするというのは漫画の文法上正当なものだといえます。
ですから、漫画作品としての『じゃりン子チエ』には不満はないのですが、
花井拳骨という元教育者のとった行動は間違っていると思います。


アルコールハラスメント - Wikipedia

飲酒の自主規制のことを調べると必ずでてくる団体に
NPO法人、アルコール薬物全国市民協会(ASK)というのがあります。

ASKでは、アルコールハラスメントの定義として以下の5つの条件を挙げていますが、
これらは本来いわれるまでもなく、常識の範囲内で守られるべき事柄だと思います。
1、飲酒の強要
2、一気飲ませ
3、意図的な酔いつぶし
4、飲めない人への配慮を欠くこと
5、酔ったうえでの迷惑行為

この基準でいうと、拳骨の今回の振る舞いは、1から5まで全部当てはまってしまうのではないでしょうか。
下戸であるテツに強い立場を使って飲酒を強要しているのも問題ですが、
子供のチエちゃんに酒を勧めたのはもちろん罪になります。

私自身が酒を飲むほうであり、あまり飲まない友人に飲ませようとする性質なので、
これは自戒を込めて考えなければならない身近な問題です。

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 弱い立場の者は、強い者に逆らうのは難しい

さらに拳骨は「ワシが責任をとる」といっていますが、
急性アルコール中毒のような、命に関わるようなもしものことが起こった場合、責任は取ろうと思ったって取れるものではありません。

恐らく拳骨のいう「責任」とは、法的な責任のことで、
警察にしょっ引かれる覚悟はあるという程度のことなのでしょう。
ですが、彼は教育者なのですから責任の範囲はもう少し広げて解釈しても良いはず。

子供の飲酒は急性だけではなく、慢性的なアルコール中毒になる危険も高いといわれていますから、
チエちゃんのその後の人生に全て責任が取れるというのなら、それは嘘になります。
そもそもがテツとヨシ江の縁をとりもって仲人までしたのが拳骨ですから。
チエちゃんの「ひどいことするなあ」という感想からも、大雑把で無責任な人だということがわかります。

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「ひどいことするなあ…」
思わず本音がでるチエちゃん。
しかし彼女がこの世に生まれてきたのも拳骨のおかげ。

拳骨はチエちゃんに飲酒をさせる理由として
「教科書どおりの教育で、この異常な一家を立ち直らせられると思うとるのか」

といっていましたが、この日拳骨がやってきた目的はヨシ江とテツを仲直りさせることです。
そういう意味ではテツとヨシ江の結婚のアフターケアをしているわけですから、「責任感」があり面倒見が良いということもできそうですが、チエちゃんがこの日拳骨を初めて認識し、拳骨も「大きなったなあ」と言っているということは、彼女が大きくなるまでこのデタラメな家をほったらかしであったことを意味し、そう考えると拳骨はやはりいい加減な人のようです。

さらに拳骨は、肝心の仲直りの工作は後日にまわして、 この日はドンチャン騒ぎをして帰っただけですから、なにがしたいのかよくわかりません。
もうかなり出来上がった状態でやってきてるので、この日は拳骨自身もなにを言ってるのかよくわかってないのかもしれませんね。
(その点、劇場版ではヨシ江はんが帰って来ているので、ドンちゃん騒ぎに「祝賀」という立派な意味が備わっていました。)

さて、今回は拳骨の行動を批判しましたが、もちろん野暮なことをいっているのは私のほうで、
拳骨はアニメの登場人物ですから現実離れしているのは当たり前で、
拳骨はでたらめでいい加減な元教師なのだと受け止めればいいだけの話であり、それだからこそテツと馬が合うといえます。
それは筋の通ったキャラクター造形として褒められこそすれ非難されるのはお門違いといえます。
たとえば私が今回書いたようなことを理由に、もしも作品を放映するなというような規制をすることがあれば、それはとんでもないことだと思います。

それに時代を考えると、この描写には仕方のない部分もあると思います。
それは、この作品が作られた1981年という 時代には、まだこういう酒を強要する行為が負の面で語られることがない価値観で世の中が回っていて、
そのような酒の負の面は、ASKのような市民団体の地道な活動などによって、ようやく公に語られるようになったものだからです。
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・ASKについて
なお、NPO法人ASKの活動のうち、広告規制については、私の感想はあとで紹介するブログ、
「ぜろだまBlog」の記述と同じ意見です。つまりそのまま引用させていただくと、

この団体の行っている飲酒運転・薬物乱用・アルハラ(アルコールハラスメント。イッキ飲みをやらせる、飲めない体質の人に飲酒を強要するなどの行為)防止のキャンペーンには共感できるのだが、個人的には広告・映像関係への"配慮"の要請が「表現狩り」の域にまで踏み込んでいるように思えてやや気になった。

ということです。
ASKは、NPOが現在のように規制緩和で乱立する以前から、社会のために長く活動している団体であり、
その意義ある活動には頭が下がりますが、同時に自らのもつ力の使い方を誤らないでほしいなと感じます。
以下のリンクにあるような、多少ムチャな感のあるCMの規制の要望に関しても、実は私としては一理あるなと思うものばかりです。
しかし、ひとつの理の前にいくつかの不合理があったとするなら話は複合的に考えなければなりません。

やはり、何事も(まさに酒も)そうであるように、いきすぎると思わぬ弊害を新たに生まないとも限りません。
この場合は、表現の自由との軋轢や、商業規制の弊害がそれにあたります。
ただし、どこからが弊害かというのは線引きが難しい問題であり、
やはりこういう難しい問題は、最後にはバランスの調整がポイントなるのだと思います。

このことは飲酒の節度とも似た話です。
そのバランス感覚がどう決定されるかは、ASKの活動が天秤に乗った重りだとすれば、
天秤のもう片方の重さで決まるのだと思います。
つまり、ここからは行きすぎだという判断をすることです。
酒だって、ここからは飲みすぎだという判断さえできれば長く付き合える嗜好品ですからね。

「WHO効果」はどれほど?
06年企業アンケート 結果報告


・アニメ作品における未成年の飲酒シーンについて


酒、セックス、麻薬、暴力。
これらをテレビや映画で流すことに年齢制限などの明確な基準をもつ自主規制先進国である米国などと違い、日本では年齢制限を設けてレイティング規制しているのはもっぱら映画での性表現や残酷表現に対してであり、誰もがチャンネルを合わせられるテレビの自主規制となるとケーブルテレビなどの一部の放送形態にレイティングの基準があるだけで、地上波放送となると厳格な基準を決めているわけではなく、特に暴力シーンに対しては、まだまだおおらかな部分が残っているようです。
基準のしっかりしている映画にしても、アニメ作品に限ってみると、実際には日本で15歳以下の観覧を禁じるR-15の指定を受けているアニメ映画は数えるほどしかありません。

制限指定のアニメ一覧 - Wikipedia

とはいえこの十数年、日本のアニメでは未成年の飲酒のシーンにかなり過敏になっています。
現実を見回してみますと、たとえば未成年である大学一年生や二年生に飲酒経験がないなどということは、ほとんど皆無に近いわけですが、それは日本の現状では脱法行為ということも間違いないのです。

ですから、子供も見る機会が多いアニメ番組で未成年が飲酒するシーンをおおっぴらに描くのがはばかられることには理解できる部分もあると思います。

実際には、深夜のノイタミナ枠での『NANA』など、明らかに高い年齢の視聴者層に向けたアニメなどでは、未成年の飲酒シーンが皆無というわけでもないようです。

ですが、アニメが子供が見るものと相場が決まっている欧米と違って、日本ではアニメに幅広い年齢の視聴者層がいるので、線引きが難しいという事情はあるかもしれません。
漫画アクションで連載されながら夕方の子供向けテレビアニメになった『じゃりン子チエ』などはまさに好例です。

ですから、深夜の放送であっても子供も見ていることを前提に、とりあえず自主規制をしておいたほうが無難だという理由で飲酒シーン、とくに未成年の飲酒シーンの自主規制に神経質になってしまうということでしょうか。

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この問題に関しては、実際の規制の例をみてもらうのが一番良いのですが、
ちょうど、作例を出しつつ丁寧に紹介しているブログをみつけました。
ぜろだまBlog:アニメの飲酒シーン規制

ここでは規制の例を、作中のキャラクターが成年の場合未成年の場合にわけて詳しく解説していますが、
なかでも、大人の飲酒・喫煙シーンまでが、過去の作品に至るまでアメリカの基準でカットされるというくだりは、背筋が寒くなります。
キャラクターの内面まで変えられてしまうことになる『新世紀エヴァンゲリオン』が例に挙げられていますがこういう文化を破壊するような対米輸出なら、しないほうがマシなんじゃないかと思えてきます。

未成年の飲酒に関しても、最近作の『もやしもん』を例にとり、自主規制によって原作漫画での微妙なニュアンスがアニメで変えられてしまっている様子を詳しく解説しています。
最近よくみられる飲酒回避のパターンである
「酒を飲むシーンがノンアルコール飲料になっている」というのも
『魁!クロマティ高校』を例にあげて説明しています。

このパターンで私が思い出すのは、このブログでも紹介していた『みなみけ』なのですが。
その最終回、第13話に「擬似飲酒シーン」が登場します。
そこでは、登場人物の未成年の少女たちがノンアルコールの怪しい飲料を飲んで、
前後不覚になって錯乱したり、倒れる様子が描かれています。
しかしタテマエ上これは飲酒ではないし、アルコールで酩酊しているのではないということになっているのがミソです。
◆『みなみけ』第13話にて「輸入品の高級ジュース」を飲むシーン
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「未成年はお酒は駄目だゾ」
言う必要のない場面でわざわざお酒の規制のことをいうことによって、
これがお酒である事を暗示するというちょっとズルいやり方。

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全員顔を赤くしてダウンしているのですが、
それはあくまで妙な効果のあるジュースを飲んだからで、
公式には酔っ払っているわけではないのです。

(※ 原作漫画では、最後の最後に「よっぱらい」というキーワードが出てきてネタばらしをしちゃってる感があるのですが、アニメでは最後まですっとぼけています)

『クロマティ高校』にしろ、『みなみけ』にしろ、
コメディ作品やギャグ作品だから可能なことだったのでしょうが、
「飲酒表現の自主規制」を逆手に取った形で飲酒を描くことで、
楽屋ネタではありますが、新しいギャグの表現を編み出したといえます。
こういう悪ふざけができる土壌があるうちは日本はまだ大丈夫かなとも思えます。
本当に表現に規制のある国ではできないことですからね。

これは酒やドラッグの問題が深刻な米国とくらべて、まだ日本の社会にはそれらの問題を受け入れて処理していけるだけの余裕が残っているからだと思います。
規制が社会の安定のバロメーターならば、アニメの内容は過激なほどに安心感のある社会といえるのかもしれません。
そういえば『じゃりン子チエ』で飲酒シーンが堂々と描かれた1981年といえば、今よりもだいぶ社会に包摂力があった頃です。
拳骨のように、他人である大人がいくら元生徒とはいえ、よその家の事情に首を突っ込み、よその子供の様子を見に来るというのが当たり前にあった時代だからこそのあのシーンなのかもしれませんね。
そう考えていくと、現在の日本の飲酒の描写に対する自主規制は、社会的な不安が反映されているようにも思え、アニメの描写できる範囲が狭くなったそのことよりも不気味です。




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