
水木家の朝の風景。
水木が会社に出かけていきます。
鬼太郎もこれから学校に行かなければならないのに、なんだか呆けています。
下の階で家主の孫娘、寝子が口ずさんでいる歌に、デレデレと聴きほれているのです。
テーブルの上では、なにか動いてます。
どうやら目玉オヤジが、息子の弁当を作っているようです。
育ての親の水木は、もう彼らの食生活にはあまり口をださないのでしょう。
目玉オヤジが、弁当を詰めながら何かつぶやいてますね。
「とれたての・・・」ってなんでしょう。
あっ、なにか入れました。

鬼太郎が弁当を忘れて出かけようとしたので。
必死に追いかける目玉オヤジ。
こんな姿になっても、きちんと親の務めを果たしているのですね。
息子に弁当を持たせるところなど立派です。

学校で鬼太郎は人間の子供たちに混じって学んでいます。
しかし鬼太郎の目的は寝子なので、授業は上の空です。
ようやく昼休みになって、弁当を広げ始める子供たち。
不機嫌そうに弁当を食べている寝子に、頭にたんこぶをつけた鬼太郎が謝っています。
たんこぶは、トイレで痴漢に間違われて寝子に殴られたせいなのですが、
それよりも鬼太郎の持ってきたお弁当が気になりますね。
「恥ずかしくて出せないや」
「父さんの作るおかずはセンスがないからなあ・・・」
もしゃもしゃと弁当を隠しながら食う鬼太郎。
弁当というのは、家庭の生活レベルを公共の学校に持ち込む行為ですから、
あまり裕福でない家の子供は、弁当の時間に肩身の狭い思いをするかもしれません。
国民のほとんどに中流意識が芽生えるのは、高度経済成長のあとの昭和50年代になってからです。
この作品の舞台となっていると思われる昭和20〜30年代では、このような光景はよく見られたようですね。
シャイな少年鬼太郎も、好きな女の子に弁当を見られないように食べているのです。
しかし隠されると余計見たくなるもの。
鬼太郎がどんなおかずを食べてるのか視聴者の私も気になります。
寝子の鼻がピクピクと動きます。
「鬼太郎さん。あなたの食べているのはドブネズミでしょう?」
目玉オヤジが弁当箱に入れていたのは、なんとドブネズミだったんですね。
さすが幽霊族の弁当はひと味もふた味も違います。
しかし、お弁当の中身のことを執拗にきいてくる寝子ちゃんの顔が怖いです。
さっきのトイレの件をまだ怒ってるんでしょうか。
「どうしてそんなもの学校に持ってくるのです?」
たしかにドブネズミを持ってくるのは非常識ですが、
そんなに怒ることはないのに。
あっ鬼太郎に飛び掛りました。
どうやら鬼太郎の弁当を奪おうとしてるようです。
そういえば、第3話で、屋根裏部屋にネズミ捕りを仕掛けにきた描写がありました。
あれは彼女の「食事」の用意だったんですね・・・。
ネズミ捕りを持って顔を赤らめる寝子
ねずみのシッポがとびでたままの弁当箱を持って、寝子から逃げ回る鬼太郎。
学校の外まで逃げますが、ついに捕まってしまいます。

ドブネズミを貪り食う寝子。
食ったら元に戻るシステムらしく、
我にかえった寝子は美少女の姿に戻り、さめざめと泣きます。
化け猫の姿を皆に見られてしまったので、もう学校に行けないと嘆く寝子。








鬼太郎に関わってしまったせいで地獄に迷い込んだ会社員の水木。
目玉オヤジの温情のおかげでなんとかシャバに戻ってこれました。
水木と鬼太郎は現在、三味線屋の二階に間借りしているのですが、
鬼太郎と目玉オヤジが待つ部屋にまっすぐ帰りたくないのでしょう。
会社が終わると水木は寄り道し、一杯引っ掛けてから帰宅します。


前回は、『墓場鬼太郎』で夜叉が登場した回を紹介しましたが、
夜叉はTVアニメの鬼太郎では、シリーズを通して緒戦で鬼太郎に倒される、
いうなれば序の口妖怪のひとりです。
最初にアニメ化した『ゲゲゲの鬼太郎』においても、
第二話から妖怪退治業を始めた鬼太郎の最初の相手となっております。
そんな夜叉のお話ですが、
今回ピックアップするのは、やはり2話で初登場になるねずみ男です。
■ バチ当りな食事
お供えに伸び る手。
「ちぇ、これだけじゃ腹の足しにもならねえや」
お供えを食っているのはねずみ男。
この直前に、善良な市民から大金を巻き上げて懐は暖かいはずなのですが、
お供えをちょろまかすとは、実にねずみ男らしい食事シーンです。
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しかし罰当たりな男です。
『ゲゲゲの鬼太郎』の世界には、地獄も存在しますし、神様もでてきます。
ねずみ男自身が、地獄と人間界の境の出身。
神仏を身近に感じるからこそ、彼らなど怖くないと思っているのかもしれませんが、
彼の場合は、神仏も損得勘定の打算のうちという表現のほうがしっくりします。
お供えをちょろまかすキャラクターといえば、
私は、傑作チャンバラ時代劇『三匹が斬る』にでてきた千石が思い出されるのですが、
彼は「どうせ俺たちは地獄行き」という覚悟で人斬りをしてました。
お供えを盗むときも仏の慈悲にすがる気持ちからか、
「かたじけない」と拝んでからいただきます。
しかしねずみ男は、利得もないのにそんなものを気に懸けているやつは馬鹿だ、
くらいにしか考えてないはずです。
なぜならばねずみ男は、作者の水木しげるの目線で描かれたあるものの象徴だからなのです。
拝むときだけは拝むけど、信仰と呼ぶには程遠い現金な祈願。
行事になると祭りあげて大騒ぎ、次の日にはケロリと忘れる。
西や東の神様も関係なく、よろずの神様がごっそりいても平気な節操のなさ。
何かに似ていますね。