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じゃりン子チエ 第11話 「金賞!チエちゃんの作文」



高畑勲演出の第11話は、原作からふたつのエピソードを描きます。
Aパート(30分番組の前半15分)は映画鑑賞のエピソードで、Bパート(後半15分)は、作文の発表会のエピソード。
両方とも「父親」を主題にしたお話ですが、原作では本来つながりのなかったこのふたつの話を並べることで、
チエちゃんの中の父親への想いが強調される構成になっています。

まずは、食べ物のシーンを中心に順に紹介していきます。


■お見舞いのアジ

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Aパートの冒頭に、前回第10話でケガをした小鉄をジュニアが見舞うシーンがありますが、
原作ではこれはBパートで描かれている作文のエピソードの途中にあるシーンです。

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アジの干物は小鉄の好物

ジュニアが手に持っているお見舞いの品はアジの干物です。
普通頭から食べられるアジの丸干しは小ぶりなアジを使いますが、
猫のスケールを考慮してもこのアジは、小アジと呼ぶには少し大ぶりですね。
お見舞いの品のゴージャス感がでています。

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「アジでも食えや、元気でる。骨も食たほうがええど」
そういわれた小鉄は、ジュニアの頭突きであばらが4本も折れ、添え木を胴にぐるぐる巻きにしています。
骨折した骨が早くつながるようにもってきたお見舞いが、この大きなアジの丸干しだったのでしょう。

 ・百合根の目線のはなし

今回のこの場面は、劇場版のラストと同じく屋根に上るお見舞いシーンになっています。
(原作では、このやりとりは部屋の中で行われます)

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小鉄がアジにかぶりついてるところに、遅れて屋根に花束をもって上ってきた百合根が話しかけます。
「先日はどうも、うちのジュニアが迷惑かけまして・・・」

猫のケンカの後始末にここまでするとは、相当な猫好きなだけではなく、百合根が猫を完全に人間扱いしていることがよくわかります。

さらに原作では畳の上での出来事だったのを、高畑演出では百合根を屋根に上らせています。
この描写のおかげで、百合根の猫への人間扱いがさらに強調されているといえます。


ペットに話しかける姿だけなら日常によくある光景ですが、
普通は人間が猫の目線で猫に話しかけるときは、人間がしゃがんで、つまり猫の目線までおりていって話しかけます。
このとき女性ならば、赤ちゃん言葉を使うかもしれません。
ここでは猫はあくまで目下の存在であり、目線をさげて”やってる”わけです。

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しかし、百合根の場合は、猫と目線を合わせるときの考え方がまったく違うのです。
だからこういうことも平気で出来てしまいます。
彼は今回、自分から猫のテリトリーである屋根に上って行って、猫と目線をあわしているのです。
小鉄にはもちろん敬語です。

つまりこの場面では、百合根は猫と対等の目線にあわさせて”いただいてる”のでしょう。
べつに彼は猫を相手にいつも自分を卑下しているわけではなく、今回の場合は小鉄に対して責任を感じていることもあって低姿勢になっているだけで、百合根の猫に対する基本姿勢は、ただ人間対する姿勢と同じなだけなのです。
そしてそれが彼のすごいところであり面白いところです。

恐らく百合根の、こういった猫へ向ける目線の裏には、彼の家族に対する切ない想いがあるからなのですが、そのことがわかるエピソードは残念ながらアニメでは描かれません。


■テツとかりんとう

さてAパートでは、チエちゃんが学校の宿題のためにテツを誘って映画を見に行く様子が描かれます。
もちろん人気映画ではなく、文部省選定映画。
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劇場の暗闇の中では、かりんとうをバリボリと食っているテツの姿が。
チエちゃんにうまくのせられて一緒に映画館まで来たものの、本当はちっとも来たくなかったはずので、その不満が態度に表れてしまってます。
テツが二時間じっとしていられるはずもなく、このあと百合根にからんだり、劇場の客にケンカを売ったりとやりたい放題。
チエちゃんの親子で映画鑑賞という目的は達せられたものの、散々な結果になってしまいます。

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かりんとうを食いながら百合根にちょっかいを出すテツ


どうやら親子水入らずの映画鑑賞に百合根がついてきたことが気に入らなかったようですね。
文句をいいながらかりんとうを食べるテツ。

紙袋の音と、サクサクポリポリという音が館内に響きます。

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時間の経過を表すカットが入り、まだテツのかりんとうを食べるシーンは続きます。
(原作をみると、ここで一時間たっていることがわかります)

テツの貧乏ゆすり
足元をみると、同じかりんとうの空き袋がもう三袋も。
みかんの皮も混じってます。
そしてテツの足は貧乏ゆすりで小刻みに震えています。

4袋目のかりんとうをバリボリ食べるテツ。
映画はクライマックスで、チエちゃんは画面に集中していますが、
テツは食べるほうに集中している様子。
どんどん食べます。


ポリポリポリポリ…

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「しかししぶといオヤジやなあ。さっきから死ぬ真似ばっかりしやがって。はよ死んで終われ」

どうもこの映画が気に入ってないようですね。
じっとしてなければいけない状況に、だいぶストレスを感じている模様。
このあとテツは、この空気に耐え切れず、ついに騒動を起こしてしまうことになります。


 ・かりんとうは精神安定剤?

テツがかりんとうを食べるシーンは、以前にも紹介しましたが、そのときの状況も今回と共通点があります。
それは、テツが精神的に安定していないというところです。

(その記事はこちら)
じゃりン子チエ 第7話 「テツの最も恐れる日」

テツはスキヤキに砂糖をたっぷりいれるような甘党なので、そのためかりんとうが好物でよく食べているのですが、
逆に言えば、それくらいしか食べたい菓子がないということです。

甘いものには精神を安定させてくれる効果があるといわれています。
それは糖分を摂取することで、脳の安定に必要なある物質が生産されやすくなり、その分泌を促すからですが、その物質をセロトニンといいます。
セロトニンは脳内ホルモンで、リラックスしているときに脳内で分泌されています。

人間はストレスを感じると、リラックスを得るためにこのセロトニンを必要とし、無意識にセロトニンが分泌される行動をとってしまう傾向があります。
その方法のひとつが糖分や炭水化物をとることであり、これは「代理摂食」と呼ばれる行動です。
空腹でもないのに食べてしまうものはみな、この代理摂食に入ります。

動物は空腹でなければ食べ物を摂取することはありませんが、人間だけは違います。
大脳が発達した人間は、本来空腹を満たす欲望であるはずの食欲を、精神的な原因により空腹でないときにも発揮するのです。
仕事でストレスのある人や失恋した人がヤケ食いしてしまうのもこの代理摂食に当たります。
そしてその行為には、精神安定物質であるセロトニンが関係しているわけです。

こう考えると、ストレスに弱いテツの甘党には納得のいく理由があったのだといえます。
もちろんこの場面でのかりんとうも、そういった裏づけを考えながら見ると面白いと思います。

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ところで実は、もうひとつセロトニンを分泌させるのに有効な方法があります。
それは「体に一定のリズムを刻んだ刺激を与える」ことです。
そうです、例えば貧乏ゆすりです。

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小刻みなリズムで縦揺れするテツの足

貧乏ゆすりは無意識にやってしまうものですが、これはストレスを発散させるために無意識にやってしまう生理的現象だという説があります。
そのストレス発散の仕組みがセロトニン分泌であり、それを促がすためスイッチがリズムを刻む行為なのです。

ここでもう一度、このシーンを考えてみると、もうひとつリズムを刻む行為があることに気づきます。
それは、かりんとうを食べる動作です。
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以前、『みなみけ』のえびせんを食べる描写を紹介しましたが、
えびせんのキャッチフレーズにも「やめられないとまらない」とあるように、スナック菓子には食べるのが止まらなくなるような魔力があります。
みなみけ 第3話 「球蹴り番長再び」 - あにめごはん
http://gugugu001.blog70.fc2.com/blog-entry-70.html

このスナック菓子の魔力には理由があります。
スナック菓子は、ひとつぶが小さく、一口で食べられ、噛むとサクサクとした歯ごたえがあり、次々に手が伸びるようになっています。
すると、そこにおのずと単調なリズムが生まれます。
この一定のリズムを刻む体への刺激が、精神を安定させるセロトニンを発生させるために、その心地よさから途中でやめられなくなってしまうわけです。
ガムを噛むと心が落ち着くのも同じ理由です。
そして、甘党のテツの場合は、ポテトチップスやえびせんではなく、かりんとうがこの役目になるわけです。

この映画館のシーンは、大量の空袋や、リズムを刻む菓子、甘味、リズムを刻む貧乏ゆすりなど、
テツのイライラを表すための様々な表現が盛り込まれていますが、
こう考えてみると、それらの要素にはきちんとした理由があることがわかります。


 参考:朝日新聞 2009.2.2「食の健康学 満腹④」
           2009.1.31「止まらない食べ物のナゾ」
           2009.6.6「元気のひけつ かむ効果」




■映画のあとのお好み焼き

百合根のお好み焼きの店、堅気屋に、映画を見終わった三人がそのまま移動してきました。
テツのせいで映画どころでなかったチエちゃんはむくれています。
そのテツは、なんで娘が怒っているのかさっぱり理解してない模様。

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「さあ焼けたでー」

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「チエちゃん、お好み焼きでも食べて機嫌直して」


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「チエはよ食べてくれ。機嫌が悪いのは腹減ってるからや」
ソースを塗ってあげるテツ。

娘が何でいらいらしてるのかと考えてはみるものの、自分を基準にしか考えられないので、こういう発想しか出てきません。
Bパートで、作文に嘘を書いてしまって悩むチエちゃんの描写がありますが。
布団に潜ってでてこないチエちゃんを見たときのテツの発想もこれと同じで、自分の過去をそのまま娘にかぶらせています。
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「わし子供のときバナナ食いたなったらワケのわからんことゆうてよう寝込んだもんや」


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ここでチエちゃんは小鉄にエサをあげるのを忘れてた事に気づきます。
しかし百合根が、冒頭のお見舞いのときにカツオブシを置いてきたようで、チエちゃんもそれを聞いてほっと一安心。

原作では、このエピソードはジュニアの登場前なので、違った描写になっています。
百合根は小鉄のために、もう一枚おみやげのお好み焼きを焼いてくれるのですが、
原作のその描写のほうが百合根の人の良さがでていて私は好きです。



...おまけを読む (作品の感想と解説)
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じゃりン子チエ 第9話 「テツの家出?」


■いつもと違う朝

トントントンと響く包丁の音。

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その音で目が覚めたチエちゃんですが、
テツもすでに起きているようで、今朝はチエちゃんは一番遅く起きたようです。
いつもと違って、今日は家にお母はんがいます。

お母はんとお父はんがいて、子供よりも先に起きている。

普通の子供にとってはめずらしくもない光景ですが、
普通の子供であることをやめ、一家の大黒柱としてふるまってきたチエちゃんには、
そんな些細なことが素晴らしい出来事だったのです。

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感情を全身で表すチエちゃん

昨日から夫婦の別居生活が終わって、竹本家は晴れて元の家族構成に戻りました。
これも花井拳骨の導きと、なによりチエちゃんの努力のおかげでしょう。

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寝ている間に模様替えされた部屋は、これまでの殺風景さと打って変わり、親子三人の生活様式になっています。
幸せをかみ締めるように狭い部屋を見てまわるチエちゃん。
その風景の中には、料理をするヨシ江もいます。

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チエちゃんが寝ていたのを除き、布団はすでに片され、
かわりに出された卓袱台には食器が用意され、傍らには炊飯釜が置かれています。
あとは味噌汁だけで朝食が始められるようになっているようです。

テツと二人暮しのときにはチエちゃんがやっていた仕事を、いまは母親がてきぱきとこなしています。

この朝ごはんの支度の様子は、日常生活のささやかな幸せの象徴であり、
この光景を、日本一不幸な少女であるチエちゃんの目を通して見ることで、我々視聴者も普段みすごされがちな自らの生活の中の幸せを再確認できるのではないでしょうか。


手際よくネギを刻んで味噌汁に入れるヨシ江、
日本の朝の風景。

さて、幸せそうな二人と対照的に、この状況が面白くないのはテツです。


「邪魔なもんばっかりじゃ」

いままで自分の好き勝手に過ごしてきた部屋に、
水屋(食器箪笥)や鏡台など、ヨシ江の私物が運び込まれ、
一気に部屋が女臭くなってしまいました。

母親の影響で女らしい仕草をみせるチエちゃんに、とうとうテツのやり場のない怒りが爆発しますが、すかさず冷静なチエちゃんのツッコミが入ります。

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「うち女やんか。忘れてるんとちゃうか」

たぶんテツだけでなく、チエちゃん自身も忘れていたのでしょう。
そもそもチエちゃんは、テツとヨシ江はんの遺伝子をバランスよく受け継いでいます。

ですから、テツと二人暮しをしているあいだはテツとウマがあい、似たもの親子の仲の良いどつきあいのような間柄になるのですが、
ヨシ江が生活の中に入ってくることにより、チエちゃんに今度は常識的なヨシ江と共鳴する部分が多くなるのも仕方ありません。

しかしこれは非常識なテツにとっては、自分のテリトリーに異物(常識的尺度)が入ってきて居心地のいい(非常識な)城が崩壊することを意味します。
そもそも結婚は、自分のテリトリーに他者を受け容れる行為ですから、
結婚自体が向いてなかったのかもしれません。


■花見の賑わい

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「メシなんか食いたないわい! お前ら女で勝手に食え」

結局、憤懣を発散させるために彼の選んだ行動は逃亡。
椅子を蹴飛ばして暴れるよりは、よほど善良で賢い選択です。
これは女ふたりへの精一杯の抗議をこめた家出もどきなわけですが、この家出もどきがいつまで持つのかは明白。
テツが家人とケンカ別れをするとき、彼には逆らいようのない不利なルールがあらかじめふたつ定められています。

ひとつめのルールは、家をでたあとの彼の足取りが示しているようです。
テツの足は意識せずとも、賑やかな、人のいる方へと・・・

このことは、あとでテツが本当に家出をするシーンで描かれた百合根のセリフで率直に現されています。

「テツの性格はしってるやろ。あいつは遠くへ行くような男やないんや」
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 ↑家出のたびに居候される人

さて家をとび出したテツはいつのまにか満開の桜の下に。
孤独な男が賑やかな花見客の中を練り歩いていきます。

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「孤独や」というセリフと裏腹に、かなり人気者のテツ

 「寿司食うか」
 「かりんとうもあるどー」 
 「スルメ食べるか」

花見客は顔見知りだらけ。
テツの好物のかりんとうをはじめ、食べ物を手にした人々が次々にテツに声をかけてきます。

花見の席という場所柄もあり、ここでは食べ物がコミュニケーションツールとして活用されているのが見所です。
たしかに、しかめっ面のテツを呼び寄せるには食べ物で釣るのが効果的といえます。
ここまでしてテツの気を引くのはテツが人気者である証し。
それを無視して、孤独を満喫するぜいたくなテツなのです。

そんなふうにして家を遠ざけてぶらついていたテツですが、夕暮れになると時限爆弾が炸裂します。
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「いかん わし完全に腹減っとる」
「しょうもない家やけど帰ったる。とりあえずメシだけは食うとかんとな」

ふたつめのルールは、空腹です。
怒りに任せて家を飛び出したテツも、ようやくこのゲームのルールを理解した模様。

・遠くにはいかない
・おなかが減ったらとりあえず帰る


このルールは家出に限らず、そのままヨシ江はんとの結婚生活のルールなのかもしれません。
以降この家は、テツいわく「メシを食うためだけの家」となります。


■疎外のスキヤキ

さて、メシを食うために”帰ってきてやった”テツですが、
そこには予想だにしなかった光景と展開が。

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竹本一族+花井拳骨がスキヤキ鍋を囲んで団欒しているのです。
贅沢なスキヤキを囲んでる輪の中に自分だけがいない。
他人の拳骨や猫まで混じっているのに、なんてことでしょう、
誰もこの家の主である自分を待っていてくれなかったのです。

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 遠慮など皆無の拳骨

これだけでもショックなのに、
デリケートなテツのブロークンハートに、極めつけの一撃が。

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「おっちゃんあかん それ最後の肉や」

唯一テツの気持ちをわかって・・・いえ、テツの扱いに慣れたチエちゃんが、
どたんばで、まずいことになっているのに気づきましたが、ときすでに遅し。

「チエちゃん なんかゆうた?」
ぺロッと最後の肉を食ってこの台詞。
さすがです。

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おばあはんも、肉の減り方が早いのに気づいてなかったようです。
家をとびだして食事時にも帰ってこない男を全員空腹で待っている義理はないというだけの話で、
べつに皆、テツに食わせる肉はないとまで思ってはいなかったのです。

しかし荒っぽい元教育者の拳骨だけは見解が違うようで、
テツに一切の甘えを許しません。

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ネギを食えというご無体な拳骨

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「お前らわしをなんや思・・・!」

最後までセリフを言えずに泣きが入ってます。
ふだん好き勝手をしておきながら、こういう疎外にはことさらダメージを受けてしまう繊細なテツ。

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考える前に行動に起こすのがテツであり、金以外の借りは必ず返すのもテツです。
ダッシュで家を出て行くと、すぐにまた戻ってきました。
帰って来たテツの手には肉屋の竹皮の包みがぶらさがってます。

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「こら貧乏人 これみてみい!」

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包みの中身は、油ののった牛肉。
値段も安くはなさそう(バクチのためのタネ銭を少し持っていたのでしょうか)。
食べ物の恨みは食べ物でキッチリ返す。
これが彼の思いついた精一杯の報復です。

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「ビフテキじゃー!」
「わしひとりで食うんじゃー おまえらヘタの油もやれへんど」


冷や汗をかきながら無理して笑顔をつくりますが、
拳骨の指示が行き届いているので、そんな必死の虚勢にも皆はしらんぷり。
攻撃しているときは守りがおろそかになるものですが、
テツの足元を見ると、こっそり小鉄が近づいてますね。

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あっ、やりました。


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肉をくわえたまま脱兎のごとく走り出す小鉄。

ところで、この画面はどこかおかしいですね。

そうです、小鉄は手を使う猫。
なのに口に肉を加えて走るなどという、まるで猫のようなことをしています。
その理由はただひとつ。「手」を自由にする必要があるためです。

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追いすがってくるテツに、椅子を掴んで横にして置き、即席のトラップを仕掛ける小鉄。
椅子に足を絡めとられたテツは哀れ、路上で伸びてしまいました。

このときのテツのセリフは傑作です。
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「くそーくそー ほんまの孤独になりそうやー!」

彼は、自分が本当は孤独ではないことに、ちゃんと気づいていたんですね。
実にテツらしいセリフです。

日よけの上では、テツを頭脳プレイで見事しとめた小鉄が戦利品にかぶりついています。
 
舌なめずりのあと、自分の歯型がついた箇所にもう一度歯をあて、ぶちりと引きちぎり、
うまそうにむしゃむしゃと噛み砕きます。
見栄っ張りのテツがメンツをかけて買って来た肉ですから、上等の肉のはず。

これでは、本当にテツが可愛そうな気もしますが、これはいわば彼の幸せの代償なのでしょう。
テツのような幸せ者は、どこかで不幸せになってこそ釣り合いが取れるというものです。
こういうところでコツコツ不幸せになっていかないと、いつかとんでもない災厄が訪れますよ。本当。


■ひとりの朝ごはん

翌朝、チエちゃんがヨシ江はんと拳骨を見送っています。
ヨシ江はんは、今朝から働きに行くのです。

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女房が働きに出かけたそのとき、その夫は何をしているかというと・・・

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見事に寝てます。
そんなろくでなしのテツを起こそうと揺さぶるチエちゃんの顔はなぜか笑顔。
両親のふたりが家にいるだけでチエちゃんは(当面の間は)幸せなのでした。

もともとテツには誰も何も期待してないのです。
チエちゃんが店をやっているので収入はありますし、扶養家族が一人いるだけの話。
拳骨がヨシ江はんに仕事を紹介したのは、テツの性格を考えて夫婦生活が長続きするよう配慮したからのこと。
ふたりを昼間のあいだ一緒にしないためです。

昼間テツが働いてなくて家にいるのだからしょうがありません。
仕方なくヨシ江はんに仕事を紹介して、ふたりの距離を引き離したというわけです。
ふだんがさつな拳骨にしては、これは非常にデリケートで気の効いた配慮だと思います。

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さて、朝寝坊かに見えたテツ、実は狸寝入りでした。
ヨシ江が仕事に出かけたと知って、水を得た魚のように生き生きと動き出すテツ。

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宿敵ヨシ江のいない隙に、さっそく自分のテリトリーを広げるべく、チエちゃんを取り込みにかかります。
そんなテツの後ろにさっきから見える白い布ですが、
これはヨシ江が朝寝坊の(働かない)夫のために用意しておいてくれた朝ごはんなのです。

そんなヨシ江の心遣いも知らずに「ばんざーい」と無邪気にはしゃぐテツ。
右に見えるヨシ江の用意した朝ごはんと無邪気なテツが並んで対比されるような構図は、どこか残酷な描写にも思えます。

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自分を起こしてくれた娘と遊べると大喜びしているテツですが、
しかし、一日中ヒマなテツと違って勤勉な少女チエちゃんには、これから学校に行くという仕事があったのでした。

娘と一日遊ぼうという計画を立てているテツに、おどけた様子でフェイントをかましたチエちゃんは、べつにテツをからかっているわけではなく、むしろその逆。
起きたときに誰もいなかったらテツが寂しがると思って、学校に行く前にわざわざ起こしてくれたのです。
「サービスしたんよ」というおどけた口調ですが、彼女のこの行動には見かけ以上の愛情がこもっているとしか思えません。

先の花見の描写もそうですが、この回は、テツが孤独どころかつくづく幸せものだということが、とてもよく実感できる回です。
テツは孤独を標榜するただの寂しがり屋なのです。

それを見透かすようにチエちゃんが言います。

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「ひとりで食べるのは寂しいよ」

このチエちゃんの愛情のこもったからかいに、「女がおらんとせいせいするわい」と憎まれ口を言い返したテツですが、
いざチエちゃんが学校に行ってしまったあとのテツは、食事をなかなか始めませんね。

「お膳の上にあるから」といわれた食事にかけられた布は取り払われています。
メニューをみると、たくあんと、里芋の煮物でしょうか。
煮物には里芋と一緒に煮ると相性のいいイカが入っているように見えます。
味噌汁とごはんは、自分でよそってくれということのようです。

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テツが茶碗を箸で叩くとチ~ンと音がします。
まるで仏壇に置かれたお鈴を鳴らすみたいです。
その音を確認するように何度も繰り返すテツ。
どことなくお通夜のようです。

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   チ~ン…    チ~ン…

家族のでかけたあとの家では、茶碗の音色はいっそう大きく寒々しく響くように聞こえます。
いつまでもチ~ンと音を鳴らし続けるテツなのでした。

意地を張らずに、もう少し早起きして家族みんなで食べたら、きっと美味しい朝ごはんだったでしょうにね。




...おまけを読む (作品の感想と解説)

じゃりン子チエ 第8話「母は来ました」


■ 夢の中の大福

今日は大事な日。チエちゃんの勝負の日です。
なんとしてでもテツに起きていてもらわねばなりません。
しかし、チエちゃんの決意をからかうように、テツは安らかな寝顔でぐーすかと寝ています。

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どんなに起こそうとしても起きないテツに業を煮やしたチエちゃんは、
耳元で大声で叫んで起こそうとします。
これにはさすがのテツもたまらず布団から跳ね起きますが、
まだ夢の中にいるらしく、現実と夢を混同した会話が始まります。

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「うるさいわい! 食事中じゃ~!!」

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「くそ~ あんな大福二度と食えんど。座布団ぐらいあったのに」

「なにアホな夢みてるねん」

食い物の恨みは恐ろしいとはいいますが、
「夢の中で食べ損ねた食べ物」のことで恨みを買うことほど馬鹿らしいことも、そうはないでしょう。



・ 『じゃりン子チエ』の夢の描写


『じゃりン子チエ』では登場人物が睡眠中に見る夢の描写がわりと頻繁にあります。
夢の内容は見る者によって傾向は違いますが、そのほとんどが脈絡のないシュールな彩りのものばかりです。
その描写のあまりの荒唐無稽さ、脈絡のなさは「これこそ夢」というべきもので、その意味ではぞっとするほどリアルな描写だとすらいえます。

夢は、睡眠中の大脳が、増えすぎた情報を整理整頓する過程で見るものだという説がありますが、
(パソコンのハードディスクのデフラグ作業によく例えられます)
だとすれば、人間が見る夢は、起きている間に経験したことの再構成であり、その人の精神状態の映し鏡でもあります。



     テツの夢

テツの夢には明らかに傾向があり、「食べ物」「家族に捨てられる」 夢が多いようです。

まず「食べ物」ですが、一般にマンガやお笑いでちょっと足りない感じのキャラクターを表現するときに、
「食べ物の夢を見ている」という描写をしているのをよくみかけます。
それは食欲が本能に直結した原初的な欲望であり、
 食欲は知的な欲求とはかけ離れている=食べ物の夢を見る人は知的ではない人
と、こういう意味合いが含まれているのでしょう

夢に出てくる「食べ物」はそのままテツの食欲の投影でであり、
この部分は、彼の極端に抑制された性欲と背中合わせになっているように露骨にふだんの生活に現れていますから、
本能に従って生きているテツの描写としては順当なものです。

問題はもうひとつの「家族に捨てられる」という要素です。
テツという人間の深層心理の奥底にある要素が、食べ物の他にはこれくらいしかないと考えると、かなり悲しいものがありますが、ふだんの傍若無人で能天気な顔のその裏に、こういった哀愁を隠しているからこそ、テツというキャラクターにぐっと深みが出ているともいえます。

そのことをセリフなどで直接描かずに、説明不足なくらいの夢の連作で描くという手法は非常に巧みな人間描写だと思います。


第4話にでてきたテツの夢のシーン
(このあと二人に逃げられます)
↓詳細はこちら
じゃりン子チエ 第4話 「テツの薬はゴロンパー」
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第36話でのテツの夢
嫁と子供にはすでに逃げられているという設定。
テツが心の底で一番恐れていることの現われ。



      チエちゃんの夢

一方、娘のチエちゃんの夢にはテツがよく出てきます。
夢の中のテツは様々な状況になっていますが、
それはそのまま、彼女がテツに抱いている様々な気持ちの表れでもあります。


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第45話でのチエちゃんの夢

テツがボクシングのチャンピオンになっています。

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「うち今日からテツをお父さんと呼びます」
この寝言は、彼女の無意識の願望が表出したものでしょうか・・・

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「もうテツには何にも期待せん自信があったのに…」


自分がまだテツに父親らしさを求めているのではないかと思い当たり、
自己嫌悪に陥るチエちゃん。


このほかにもアニメ化はされませんでしたが、
テツが死亡してしまうという夢をチエちゃんはみています。(コミックス12巻)

それがチャンピオンの夢のときのような「願望の現れ」でないことは明らかで、
このことはチエちゃんがテツの名前を寝言で呼び続け、夢の中では涙を流していたらしい描写があることからもハッキリしています。
このときテツは、市議会議員に立候補したレイモンド飛田の選挙活動でピンチに陥っていて、
チエちゃんはテツの事情には無関心で、自分やテツ以外の家族の心配ばかりしているようでしたが、心の底ではテツのことを一番心配していたのでしょう。

どちらの夢も子供の見る夢としては切なさがあり、
その哀愁は、テツの夢のそれと共鳴して一層深い哀愁の影を作品に落としています。
こういった要素は、ふだん明るいドタバタコメディである『じゃりン子チエ』の隠し味になっているのです。




...おまけを読む (作品の感想と解説)

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