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ヒャッコ 第7話 Bパート 「17コメ 虎の怒りを買う狐 」



■恋のトウガラシラーメン

今回登場した狐(きつね)は、虎子の兄です。
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彼は妹をいじめることに快感を覚えるという、サディストの変態さんです。
食堂で虎子を発見した彼は、さっそく意地悪そうな笑みをたたえて妹に近づきます。

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熱いしょう油ラーメンをフーフー冷ましている虎子でしたが、
狐が同学年の男子生徒を連れて虎子に相席するのを見ると顔色が曇ります。
狐と顔をあわせると、ろくなことにならないことはわかってるからです。

しかし今回だけは狐は意地悪だけで虎子に近づいたのではなかったのでした。
一緒にいる男子生徒は戦国獅々丸(せんごく ししまる) くん。

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彼は、虎子に一目惚れして、なんとか彼女に接近するチャンスをうかがっていたのですが、
今回、虎子の兄の狐がそのチャンスを作ってくれたわけです。

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ガチガチになっている獅子丸

しかしせっかくのチャンスだというのに、彼は氷漬けです。
このこう着状況を前に、早くも二人の仲を取り持つのがめんどくさくなってきた狐は、行きがけの駄賃にと虎子イジメを思いつきます。
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この中で意地悪につかえそうなアイテムは・・・

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「あの厨房で料理してんのレクター博士じゃね?」

原作ではここは「アンソニー・ホプキンス」になってますが、どちらにしろ食堂で聞きたくない類いの名前ですね。
いうまでもなくレクター博士=ハンニバル・レクターは、フィクションの世界でもっとも有名な猟奇殺人鬼です。
映画ではアンソニー・ホプキンスがレクターを演じました。
彼のあだ名は「人食いハンニバル」ですから、この場面でその名がどういう意味を持つかは明白でしょう。
アニメではさらに、狐のセリフに「おいおいあんなもの料理に混ぜたらまずいだろ」というセリフが追加されてます。
ちょっとやりすぎな気もしますが、これには演出家の明確な演出意図が見え隠れしているようにも思えます。
(これについては後で詳述します)

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さて狐は、妹がよそ見をしている隙にトウガラシのビンの中身をすべてラーメンに投入。
美味しそうなしょう油ラーメンが一瞬にして凶悪なラーメンに。

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それを知らずに食べた妹の期待通りのリアクションを見て大笑いする狐。
サディズムの奥に愛情があるとするなら、これも兄妹愛の歪んだ形なのでしょうか。
ひとしきり笑って満足した狐はさっさと立ち去ってしまいます。

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取り残されたのは涙目の虎子と、ガチガチの獅子丸くん。
この凍りついた場をどうしたらいいのかわかりません。
これもサディスティックな意味合いをもった一種の放置プレイなのかもしれませんね。

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ところがこの場面で獅子丸はひらめきます。
このラーメンを、自分の無傷のラーメンと替えれば虎子のナイトになれるではないですか。
まさにピンチはチャンスです。

狐の入れたトウガラシの件は単なるイジメであり完全にハプニングですし、
そもそもこの相席の機会を設けてくれたのは別に親切心からではなく、二人が付き合ったら笑えるからという理由だったりします。
しかし、やり方は異常であっても、結果的に狐は二人がお近づきになるきっかけをバッチリつくってくれました。

そして、いかに緊張していようとも、男は行くときは行かねばなりません。
この期を逃すようなら、チャンスは再び巡ってこようとも彼の手元をすり抜けるでしょう。
チャンスはつかみ取るのです。
行け獅子丸!
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「お、俺のラーメンと替える?」

この親切まるだしだなのか、色気丸出しなのかよくわからない申し出に、虎子は一呼吸分の逡巡の後答えます。
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「か、替えてくれる?」

トウガラシ入りの毒ラーメンとはいえ、
食い気と色気の要素が同時に混在しているこのカットは、なかなか興味深いです。

それはともかく、虎子はなんだかいつもとキャラが違いますね。
こういうときだけ女をアピールするしたたかさはやはり女性らしさの表れです。
ふだん男らしさ全開の虎子も、男がいる場面では女の子なんですね。

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実際には、虎子のこの仕草にどこまで計算があったのかは図りかねますが、
それはさておき獅子丸の心臓は止まってしまいましたとさ。


■ 食のフェティシズム

・食事と恋愛

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ところでこのトウガラシラーメンがこの後どうなったかは劇中で描かれていませんが、獅子丸くんはきっと食べたと思います。
ここでは「食べられなくなったラーメンを、新品と取り替えてあげる」という親切な筋書きがあるので、心証を考えたらここは食べないほうが良いわけですが、
取り替えて自分のところにきたのは、好きな女の子が箸をつけたラーメンですから、たとえ唇が二倍に腫れて喉が焼けようともこれはぜひ食べたいところ。

考えてみたのですが、ここは、俺辛いの好きなんだよねーとでもいいながら、一口二口食べて見せるというのがベストではないでしょうか。
もちろん辛くてヒーヒーいうでしょうが、笑いも取れるし、恩も着せられるし、同じラーメンを目の前で食べることで彼女の深層心理に「間接キッス」というキーワードを縫いこめることも出来るという一石三鳥、いえ、間接キッスのご褒美を計算に入れると一石四鳥の作戦です。
これはもう確実に親密感が増します。もしかすると明日結婚してるかもしれません。
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このような極端な例でなくても、恋愛沙汰と食事は非常に相性が良いといえます。
他人と一緒に摂る食事というのは、自分の本能や生活習慣を人前でさらけ出す行為でもあります。
人前で無防備な姿をさらすことで、壁がひとつ崩され、互いのテリトリーが交わります。
恋愛に限らず、商談などで食事が使われるのも、こういった心理的な効果を期待してのことだといえます。

それが男女の付き合いとなると、これは食事を介してエロチックな意味合いがそこに隠れていたとしてもなんら不思議はありません。

   - 歩巳と狐 -

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アニメ化されたのは原作の3巻くらいまでですが、
それ以降の原作の描写では、狐は歩巳の恋の相手として匂わされた描かれ方をされています。
そのことを踏まえてこのシーンを見ると、狐と歩巳が食事のトレイを持ったまま鉢合わせするというシチュエーションには、どこかしら色気が漂っているようにも思えます。


・映像表現としての食のフェティシズム

「食い気」と「色気」という、生物である以上必ず備えているふたつの原初的な欲望ですが、
この食い気と色気の境目があいまいになった世界は、より高密度な生気を帯びた妖しい空間となり、それを取り入れることで映像世界においても濃密な表現が出来ることだと思います。

実際に映画などでもその手法は良く見かけますし、伊丹十三監督の『タンポポ』など、性的に倒錯させた食の描写を意欲的に表現した映像作品なども存在します。

今回とりあげた『ヒャッコ』のラーメンの描写もその系統のひとつに入るでしょう。
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・カニバリズムとフェティシズム

作中のセリフに「レクター博士」がでてきますが、現実の猟奇殺人犯のほとんどは性的な興奮を得ることを目的として殺人を犯します。
そして反社会的行為として行われるカニバリズム(人肉嗜食)は、性的な欲望と表裏一体になっています。

パリ人肉事件の佐川一政も、女友達を殺し性行為のあと食べてしまってますし、アメリカで有名なシリアルキラーにも、ジェフリー・ダーマーなど性行為と殺人と食人を一連の行為として行っていた殺人犯がいます。
欲望の要素として「殺人」まで入ると、これはあまり考えたくはありませんが、暴力的な嗜虐心も含めてこれらは人間の欲望としてひとつながりのものなのかもしれません。

今回の『ヒャッコ』では前半のAパートにて、狐のサディズムが性的倒錯傾向を大いに含んだ描写としてでてきます。
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好みの女の子にスカートめくりをする狐

「性」と「暴力」と「食」が三つ巴になった同等の欲望だとするなら、
Bパートの食事シーンにおいて、このサディズムをもつキャラクターとして描かれている狐のイタズラは、食事を挟んで描かれた恋愛沙汰の間に位置する「暴力」の要素として、同列のものとして表現されているように思えます。
そして、この場面で狐の口から(究極の暴力である殺人と人肉嗜食を同時に行う)「レクター博士」という架空の猟奇殺人犯がでてきたことも、決して偶然の符合ではないということができそうです。


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