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じゃりン子チエ 第7話 「テツの最も恐れる日」


■テツの好物かりんとう

今日は家庭訪問の日です。

チエちゃんの担任の花井先生が、向かい合ったテツにやけに親しげに話しかけてきます。
先生のこの態度に、やはりテツも調子が狂うのでしょうか、先生と目を合わさずにボリボリとかりんとうを食べていますね。
テツはかりんとうが好物なのですが、酒も飲めない甘党の彼が気軽に食べられるスナックはかりんとうくらいなのでしょう。

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この日テツは最初から、先生とあまり目をあわせていません。
この間の授業参観のとき、あれだけ脅しておいたのに、この馴れ馴れしさ。
計算どおりに行かない相手に、内心テツもビビっているのでしょう。
よく見ると、額には汗が。
拳よりも精神的なプレッシャーに弱いテツの内面が、こういうさりげないところに垣間見えます。


恐らく、この「目を合わさずかりんとうを食べる動作」とテツが感じている 「プレッシャー」には深い関係があり、
またそこには「食」の意外な側面が隠れていると思うのですが、
このことに関しては、テツがかりんとうを食べているシーンが再びでてくる、第11話 「金賞!チエちゃんの作文」 の回のほうがわかりやすいので、そちらで詳しく取り上げたいと思います。



■ チエちゃんの飲酒


さて、テツをもビビらせた花井先生の余裕の態度でしたが、
このときの花井先生の態度には、強力な裏づけがありました。

彼はチエちゃんの小学校の担任ですが、彼の父親もやはり教師でした。
そして、その人はテツの小学校のときの担任であり、ヨシ江はんとの仲をとりもった仲人でもある人物。
花井拳骨だったのです。

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スルメと一升瓶をもって乱入してくる初老の男性。
花井拳骨の初登場シーンです。

◇劇場版との違い

劇場版では、原作に準拠したTVアニメと違って、構成をかなり大胆に変えています。
この家庭訪問での飲酒シーンは、劇場版では、ヨシ江が家出から帰ってくるエピソードと直結しているので、
竹本一族と花井親子が勢ぞろいしてのお祝いの酒の席になっています。
そのため、問題のチエちゃんの飲酒場面も、驚くおばあやヨシ江の目前で繰り広げられることになります。
(その動画の一部はテレビ版にも使いまわしています)


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「なんか足らんな。ここに酒があってなんかが…」
露骨な催促をする拳骨。遠慮という言葉がもっとも似合わない人です。
さすがテツの天敵だけあるのでした。
「肴や。ウチホルモン焼いてきます」
気の効くチエちゃんは、すぐに台所に立ちます。

普段省略されているチエちゃんのホルモンを焼き始めるまでの手順がここで描写されています。
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おばあがいつも自転車で運んできて置いていくホルモンは、この冷蔵庫の中にしまってあるのですね。

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ガス台に点火装置はないようで、着火はマッチでやります。
火をつけたあと手を振ってマッチの火を消し、そのまま右下に見える缶に放り込むまでの流れるような動作が鮮やか。
いつもやっている手慣れた作業だということが、この動きだけでも一目瞭然です。


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ホルモンから煙が立ち始めると同時に、ひくひくと動く小鉄の鼻。

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「お前もおいで、一緒に食べよ」
小鉄は実に素直な顔でニャーと鳴いて大喜びです。

その小鉄に「猫と人間を分けて考える少女」という評をされたこともあるチエちゃんですが、
人間と同じように猫に接してくれる事だって、たまーにはあるんです。
小鉄が家族扱いされているこのような描写などは、とても温かみがあって良いですね。

劇場版ではお母はんが帰って来てその嬉しさのあまり、ご祝儀で小鉄もお相伴に与れるという意味合いが加わってしまってるので、原作に準拠したこのテレビ版での 「一緒に食べよ」のほうが小鉄にとっては価値があると思います。そしてそれは視聴者にとっても同じことがいえると思います。

※ …テレビ版も、テツの家出の時系列が原作とは若干違い、そのために冒頭でのマサルやタカシのセリフなども若干変更されています。


さあ、ホルモンも焼け、宴の準備が整いました。
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いよいよ問題のシーンとなります。
「こんな悲惨な家族とシラフで付き合えるか!」と、最初からかなり出来上がってる様子の拳骨でしたが、
ついに周りにも酒を勧め始めました。

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「今日はみんなで飲む! 飲んで飲んで、日ごろのモヤモヤを吹き飛ばすんじゃ!」

酒の飲めないテツはもちろんのこと、なんと娘のチエちゃんにも「飲め」と言い出します。
現役教師である(息子のほうの)花井先生は、さすがにこれを止めようとしますが、
「バカタレ! お前みたいな教科書どおりの教育で、この異常な一家を立ち直らせられると思うとるのか」
という怒声とともに殴り飛ばされてしまいます。

拳骨の勢いに気おされたのか「うち飲む」と決断し、飲み始めるチエちゃん。
テレビアニメではめずらしい小学生の飲酒シーンです。


一気飲みするチエちゃん


「けっこうおいしいわ」

と言ったとたん、しゃっくりがとびでます。
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一方飲めない酒を無理やり飲まされて涙目のテツ。
泣くテツの姿などめったに見れないのでこれも貴重です。

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「どんどんいけ。 お前は大人以上に苦労しとる」

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ドンチャン騒ぎは朝まで続き、下戸のテツは店の表に吐いてます。
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さて、ここから少し話を広げて、アニメにおける飲酒シーンの規制の話をしたいのですが、
その前に『じゃりン子チエ』においての、このチエちゃんの飲酒シーンについて、私個人の意見を先に語ってしまいたいと思います。

作中の拳骨は破天荒な人物であり、その初登場となるシーンで破天荒な振る舞い、つまり子供に飲酒を勧めることを含めた無茶な行動をするというのは漫画の文法上正当なものだといえます。
ですから、漫画作品としての『じゃりン子チエ』には不満はないのですが、
花井拳骨という元教育者のとった行動は間違っていると思います。


アルコールハラスメント - Wikipedia

飲酒の自主規制のことを調べると必ずでてくる団体に
NPO法人、アルコール薬物全国市民協会(ASK)というのがあります。

ASKでは、アルコールハラスメントの定義として以下の5つの条件を挙げていますが、
これらは本来いわれるまでもなく、常識の範囲内で守られるべき事柄だと思います。
1、飲酒の強要
2、一気飲ませ
3、意図的な酔いつぶし
4、飲めない人への配慮を欠くこと
5、酔ったうえでの迷惑行為

この基準でいうと、拳骨の今回の振る舞いは、1から5まで全部当てはまってしまうのではないでしょうか。
下戸であるテツに強い立場を使って飲酒を強要しているのも問題ですが、
子供のチエちゃんに酒を勧めたのはもちろん罪になります。

私自身が酒を飲むほうであり、あまり飲まない友人に飲ませようとする性質なので、
これは自戒を込めて考えなければならない身近な問題です。

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 弱い立場の者は、強い者に逆らうのは難しい

さらに拳骨は「ワシが責任をとる」といっていますが、
急性アルコール中毒のような、命に関わるようなもしものことが起こった場合、責任は取ろうと思ったって取れるものではありません。

恐らく拳骨のいう「責任」とは、法的な責任のことで、
警察にしょっ引かれる覚悟はあるという程度のことなのでしょう。
ですが、彼は教育者なのですから責任の範囲はもう少し広げて解釈しても良いはず。

子供の飲酒は急性だけではなく、慢性的なアルコール中毒になる危険も高いといわれていますから、
チエちゃんのその後の人生に全て責任が取れるというのなら、それは嘘になります。
そもそもがテツとヨシ江の縁をとりもって仲人までしたのが拳骨ですから。
チエちゃんの「ひどいことするなあ」という感想からも、大雑把で無責任な人だということがわかります。

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「ひどいことするなあ…」
思わず本音がでるチエちゃん。
しかし彼女がこの世に生まれてきたのも拳骨のおかげ。

拳骨はチエちゃんに飲酒をさせる理由として
「教科書どおりの教育で、この異常な一家を立ち直らせられると思うとるのか」

といっていましたが、この日拳骨がやってきた目的はヨシ江とテツを仲直りさせることです。
そういう意味ではテツとヨシ江の結婚のアフターケアをしているわけですから、「責任感」があり面倒見が良いということもできそうですが、チエちゃんがこの日拳骨を初めて認識し、拳骨も「大きなったなあ」と言っているということは、彼女が大きくなるまでこのデタラメな家をほったらかしであったことを意味し、そう考えると拳骨はやはりいい加減な人のようです。

さらに拳骨は、肝心の仲直りの工作は後日にまわして、 この日はドンチャン騒ぎをして帰っただけですから、なにがしたいのかよくわかりません。
もうかなり出来上がった状態でやってきてるので、この日は拳骨自身もなにを言ってるのかよくわかってないのかもしれませんね。
(その点、劇場版ではヨシ江はんが帰って来ているので、ドンちゃん騒ぎに「祝賀」という立派な意味が備わっていました。)

さて、今回は拳骨の行動を批判しましたが、もちろん野暮なことをいっているのは私のほうで、
拳骨はアニメの登場人物ですから現実離れしているのは当たり前で、
拳骨はでたらめでいい加減な元教師なのだと受け止めればいいだけの話であり、それだからこそテツと馬が合うといえます。
それは筋の通ったキャラクター造形として褒められこそすれ非難されるのはお門違いといえます。
たとえば私が今回書いたようなことを理由に、もしも作品を放映するなというような規制をすることがあれば、それはとんでもないことだと思います。

それに時代を考えると、この描写には仕方のない部分もあると思います。
それは、この作品が作られた1981年という 時代には、まだこういう酒を強要する行為が負の面で語られることがない価値観で世の中が回っていて、
そのような酒の負の面は、ASKのような市民団体の地道な活動などによって、ようやく公に語られるようになったものだからです。
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・ASKについて
なお、NPO法人ASKの活動のうち、広告規制については、私の感想はあとで紹介するブログ、
「ぜろだまBlog」の記述と同じ意見です。つまりそのまま引用させていただくと、

この団体の行っている飲酒運転・薬物乱用・アルハラ(アルコールハラスメント。イッキ飲みをやらせる、飲めない体質の人に飲酒を強要するなどの行為)防止のキャンペーンには共感できるのだが、個人的には広告・映像関係への"配慮"の要請が「表現狩り」の域にまで踏み込んでいるように思えてやや気になった。

ということです。
ASKは、NPOが現在のように規制緩和で乱立する以前から、社会のために長く活動している団体であり、
その意義ある活動には頭が下がりますが、同時に自らのもつ力の使い方を誤らないでほしいなと感じます。
以下のリンクにあるような、多少ムチャな感のあるCMの規制の要望に関しても、実は私としては一理あるなと思うものばかりです。
しかし、ひとつの理の前にいくつかの不合理があったとするなら話は複合的に考えなければなりません。

やはり、何事も(まさに酒も)そうであるように、いきすぎると思わぬ弊害を新たに生まないとも限りません。
この場合は、表現の自由との軋轢や、商業規制の弊害がそれにあたります。
ただし、どこからが弊害かというのは線引きが難しい問題であり、
やはりこういう難しい問題は、最後にはバランスの調整がポイントなるのだと思います。

このことは飲酒の節度とも似た話です。
そのバランス感覚がどう決定されるかは、ASKの活動が天秤に乗った重りだとすれば、
天秤のもう片方の重さで決まるのだと思います。
つまり、ここからは行きすぎだという判断をすることです。
酒だって、ここからは飲みすぎだという判断さえできれば長く付き合える嗜好品ですからね。

「WHO効果」はどれほど?
06年企業アンケート 結果報告


・アニメ作品における未成年の飲酒シーンについて


酒、セックス、麻薬、暴力。
これらをテレビや映画で流すことに年齢制限などの明確な基準をもつ自主規制先進国である米国などと違い、日本では年齢制限を設けてレイティング規制しているのはもっぱら映画での性表現や残酷表現に対してであり、誰もがチャンネルを合わせられるテレビの自主規制となるとケーブルテレビなどの一部の放送形態にレイティングの基準があるだけで、地上波放送となると厳格な基準を決めているわけではなく、特に暴力シーンに対しては、まだまだおおらかな部分が残っているようです。
基準のしっかりしている映画にしても、アニメ作品に限ってみると、実際には日本で15歳以下の観覧を禁じるR-15の指定を受けているアニメ映画は数えるほどしかありません。

制限指定のアニメ一覧 - Wikipedia

とはいえこの十数年、日本のアニメでは未成年の飲酒のシーンにかなり過敏になっています。
現実を見回してみますと、たとえば未成年である大学一年生や二年生に飲酒経験がないなどということは、ほとんど皆無に近いわけですが、それは日本の現状では脱法行為ということも間違いないのです。

ですから、子供も見る機会が多いアニメ番組で未成年が飲酒するシーンをおおっぴらに描くのがはばかられることには理解できる部分もあると思います。

実際には、深夜のノイタミナ枠での『NANA』など、明らかに高い年齢の視聴者層に向けたアニメなどでは、未成年の飲酒シーンが皆無というわけでもないようです。

ですが、アニメが子供が見るものと相場が決まっている欧米と違って、日本ではアニメに幅広い年齢の視聴者層がいるので、線引きが難しいという事情はあるかもしれません。
漫画アクションで連載されながら夕方の子供向けテレビアニメになった『じゃりン子チエ』などはまさに好例です。

ですから、深夜の放送であっても子供も見ていることを前提に、とりあえず自主規制をしておいたほうが無難だという理由で飲酒シーン、とくに未成年の飲酒シーンの自主規制に神経質になってしまうということでしょうか。

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この問題に関しては、実際の規制の例をみてもらうのが一番良いのですが、
ちょうど、作例を出しつつ丁寧に紹介しているブログをみつけました。
ぜろだまBlog:アニメの飲酒シーン規制

ここでは規制の例を、作中のキャラクターが成年の場合未成年の場合にわけて詳しく解説していますが、
なかでも、大人の飲酒・喫煙シーンまでが、過去の作品に至るまでアメリカの基準でカットされるというくだりは、背筋が寒くなります。
キャラクターの内面まで変えられてしまうことになる『新世紀エヴァンゲリオン』が例に挙げられていますがこういう文化を破壊するような対米輸出なら、しないほうがマシなんじゃないかと思えてきます。

未成年の飲酒に関しても、最近作の『もやしもん』を例にとり、自主規制によって原作漫画での微妙なニュアンスがアニメで変えられてしまっている様子を詳しく解説しています。
最近よくみられる飲酒回避のパターンである
「酒を飲むシーンがノンアルコール飲料になっている」というのも
『魁!クロマティ高校』を例にあげて説明しています。

このパターンで私が思い出すのは、このブログでも紹介していた『みなみけ』なのですが。
その最終回、第13話に「擬似飲酒シーン」が登場します。
そこでは、登場人物の未成年の少女たちがノンアルコールの怪しい飲料を飲んで、
前後不覚になって錯乱したり、倒れる様子が描かれています。
しかしタテマエ上これは飲酒ではないし、アルコールで酩酊しているのではないということになっているのがミソです。
◆『みなみけ』第13話にて「輸入品の高級ジュース」を飲むシーン
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「未成年はお酒は駄目だゾ」
言う必要のない場面でわざわざお酒の規制のことをいうことによって、
これがお酒である事を暗示するというちょっとズルいやり方。

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全員顔を赤くしてダウンしているのですが、
それはあくまで妙な効果のあるジュースを飲んだからで、
公式には酔っ払っているわけではないのです。

(※ 原作漫画では、最後の最後に「よっぱらい」というキーワードが出てきてネタばらしをしちゃってる感があるのですが、アニメでは最後まですっとぼけています)

『クロマティ高校』にしろ、『みなみけ』にしろ、
コメディ作品やギャグ作品だから可能なことだったのでしょうが、
「飲酒表現の自主規制」を逆手に取った形で飲酒を描くことで、
楽屋ネタではありますが、新しいギャグの表現を編み出したといえます。
こういう悪ふざけができる土壌があるうちは日本はまだ大丈夫かなとも思えます。
本当に表現に規制のある国ではできないことですからね。

これは酒やドラッグの問題が深刻な米国とくらべて、まだ日本の社会にはそれらの問題を受け入れて処理していけるだけの余裕が残っているからだと思います。
規制が社会の安定のバロメーターならば、アニメの内容は過激なほどに安心感のある社会といえるのかもしれません。
そういえば『じゃりン子チエ』で飲酒シーンが堂々と描かれた1981年といえば、今よりもだいぶ社会に包摂力があった頃です。
拳骨のように、他人である大人がいくら元生徒とはいえ、よその家の事情に首を突っ込み、よその子供の様子を見に来るというのが当たり前にあった時代だからこそのあのシーンなのかもしれませんね。
そう考えていくと、現在の日本の飲酒の描写に対する自主規制は、社会的な不安が反映されているようにも思え、アニメの描写できる範囲が狭くなったそのことよりも不気味です。




■劇場版よりもテレビシリーズという理由


以前にも書きましたが、私は劇場版よりもテレビシリーズのほうが好きです。
ですからもし、これから『じゃりン子チエ』を見るという人がいるならば劇場版だけでなく、できたらテレビシリーズも見てほしいと思うのです。

劇場版での芸人さん達を使ったキャスティングよりも、テレビ版の声優さんの演技のほうが良いという理由が大きいのですが、内容の面でもテレビシリーズをお勧めしたいわけがあります。


・映像化に向いた原作漫画

劇場版はテレビシリーズと違って、監督の目が行き届いたつくりであり、
計算して構築された一本の映画としての美しさがあるので、高畑勲作品としてなら間違いなくお勧めできる一本です。
その反面、原作にあった細かい要素は遠慮なくカットされていきました。
しかし、『じゃりン子チエ』という作品は、やはり原作ありきのものだと思うのです。

とにかく原作漫画が素晴らしい。

これに尽きます。

乱暴な言い方をすると、高畑勲がまったくタッチしていなかったとしても、
『じゃりン子チエ』はある程度のクオリティをもったものに仕上がっていたでしょう。
(実際番組後半は、高畑監督は米国との合作『リトル・ニモ』の準備に追われて『じゃりン子チエ』にはノータッチだったらしいです)

高畑勲監督の手による劇場版でのエピソードを使い切ってからは、とくにその必要性があったのかもしれませんが、テレビアニメは、原作の魅力を極力ブラウン管の上に再現することを目指していたように感じます。
もちろんこれは、原作の雰囲気を削ることなく再現できるスタッフの力があってこそなのですが。

そしてもうひとつ。
原作漫画が、オリジナルの流れに手を加えずにアニメの絵コンテに起こすだけで、すんなり映像化できてしまう作風だということが挙げられると思います。

映画好きであることが容易に想像できる原作者のはるき悦巳先生ですが、
『じゃりン子チエ』の漫画は(とくに最近の漫画と比べると顕著なのですが)通常の漫画よりも異様にコマが小さくて、セリフが多いのです。
小さなコマにこれでもかというくらいの情報量のセリフを詰め込んで、ドラマか映画の脚本をつくるようなやり方でネーム(映画で言う絵コンテにあたるもの)を描いているのだと思います。

ですから漫画『じゃりン子チエ』には、同じような構図のコマが続けて何度も出てきて、そのコマには登場人物数人のセリフがひとつずつ書いてあるなんてこともざらです。
イントロ部分とオチの部分以外はコマの大きさが大きく変化することはなく、似たようなコマ割りのページの連続で単調に物語が進みます。

ちょっと失礼な言い方になりますが漫画の『じゃりン子チエ』は「漫画としては読みにくい作品」です。
しかし、それが同時に『じゃりン子チエ』の良さでもあるのです。
この畳み掛けるような膨大なセリフを味わうには、能動的なメディアである漫画よりも受動的なメディアであるアニメーションという手段が最適と思います。
劇場版は尺の都合があったので、原作のセリフやシーンを大幅にカットしていましたが、テレビアニメではほぼ再現されているだけでなく、原作でページが足りなくなって描写できなくなったような場面でも適切な形で補完がしてあります。
そうすることによって、原作にはたしかに存在するもの。
すなわち「小ネタを積み上げることでしか構築し得ない濃密な世界」が、フルカラー音声付き動きつきで再現されるという夢のようなことが実現されている。
それがTVアニメーション『じゃりン子チエ』なのだといえると思います。


・テレビアニメだけに存在するカット(第7話)

以下に紹介するのは、劇場版に同じシーンがありながら、原作とテレビアニメ版だけにしか存在しないカット。
いわば劇場版で描ききれなかった部分です。
また、私もメイン記事では紹介し切れなかったのでここで紹介します。
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まず冒頭で紹介した家庭訪問シーンにおいて、
「こいつ、いつもワシのことテツと呼びよるんやど」と、
普段の生活をバラされてしまったチエちゃんが大慌てするという面白い描写があります。

劇場版ではここは全員集合のお祝いの場面につながるためか、路上での野球の描写ともどもカットされています。
(劇場版ではここをスムーズにつなげるために、テレビでいうと第4話にあたる風邪ひきのテツがバクチをしている描写を挟むところが実にうまいのですが)

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「嘘!うそうそ!」 …という嘘をつくチエちゃん

普段親のテツに対して、常に上位に立っている爆弾娘のチエちゃんですが、
担任の先生という権威が現れることによって、パワーバランスが崩れ、
テツとの関係が逆転し、やり込められているところが面白いです。
ここは完全にテツの勝ちです。
告げ口とは女々しいやり口ではありますが、実にテツらしい勝ち方ともいえます。

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次は、拳骨の催促にチエちゃんが気を利かせてホルモンを焼くシーン。

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「はいおまっとさん まだあるよ」
原作にもあるセリフですが、私はこの「まだあるよ」というさりげない言い回しが気に入ってます。
あってもなくてもいいセリフにも思えますが、あったほうが絶対に良いと思うのです。
とくにアニメでは中山千夏さんの演技もあいまって、絶妙の雰囲気とリアリティを画面に添えていると思います。 

この描写は、直前の拳骨の「図々しい催促」とセットになっています。
そして、拳骨が大事な使命をもって竹本家を訪問した設定の劇場版では、恐らく意図的に両方カットされています。

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最後に宴の翌日のシーン。

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夜遅くまでパンツ一枚で踊っていて寝過ごしたチエちゃん。(本人は否定してますので真偽のほどは拳骨にしかわかりません。)
朝になると猛烈な勢いで歯を磨いて、食パンをくわえて飛び出します。

劇場版ではこの部分はフェードアウトと、チエちゃんの簡素なナレーションだけで処理されているので、
テツが戻している描写や、小鉄の二日酔いの様子、そして
「昨日パンツ一枚で踊ってたとゆうとったけど、きっと嘘やと思う」
というナレーションはカットされてしまってます。

このときの歯磨きや食パンの描写は原作にはなく、アニメの追加要素。
このシーンは原作漫画では(ページ数の都合でしょうが)、かなり寸詰まりというか、ナレーションで強引に終わらせた感じだったのですが、
テレビアニメでは原作の意図を崩すことなくその補完をするような演出がされているのが嬉しいです。

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パンを咥えて「遅刻遅刻」というのは、『じゃりン子チエ』の放送当時からギャグ漫画などでパロディにされるくらい定番で古風な少女漫画の記号的描写ですが、
ここでのチエちゃんにはそのような可愛らしさは微塵もなく、血走った目つきで支度をしているのが良いですね。
その後ろでのん気に酒を飲んでいるおっちゃんとの対比がまた良いです。



さて、ここでは劇場版とテレビ版で共有しているエピソードの差異を述べましたが、
劇場版には、当然のことながら、原作からまるごとカットされてしまっているエピソードがたくさんあります。
この第7話でいうと、後半のテツがヒゲを剃られてヨシ江はんの待つ公園に連れて行かれるというプレお見合いのエピソードがそうです。
テレビアニメは、そんな劇場版では描けなかった部分を丹念に映像化しているので、劇場版にはない良さがたくさんあると言っていいでしょう。
もっともそれは漫画からマルチメディア展開した作品全てにいえることなので、『じゃりン子チエ』の原作には無駄なところがほとんどないと思えるのはファンの欲目ゆえかもしれませんね。

この記事に対するコメント


お久しぶりです。
SATOYAMAさんもお酒が飲めないそうですが、あの描写が共感できるという背景にはやはり
はるき先生自身が下戸という理由がありそうですよね。
テツのモデルの一部は確実に先生本人なのでしょう。
拳骨のような人に酒を勧められた経験がテツの涙に反映されてるのかなと想像してしまいます。

児童の賭博シーンや、児童就労の描写はどうなんでしょうね。
飲酒シーンの規制の話はよく耳に入るんですが、そのふたつの規制話は聞いたことないですね。
いずれ機会があったらこのブログで紹介したいと思ってるアニメで、
麻雀の神様、阿佐田哲也をモデルにした麻雀アニメ『勝負師伝説 哲也』というのがあるんですが、
これは違法賭博を描いているので遠慮がちに深夜に放送してましたけど、企画段階では夕方に放送する予定だったそうで、しかも元は週刊少年マガジンでやってた少年向け漫画ですから、賭博に関してはアニメ・漫画の規制はほぼないに等しいんじゃないでしょうか。
賭博という違法行為をしているときの哲哉などはかっこいいですから、こういう作品がいつ槍玉に上がってもおかしくはないと思うんですけど、やはりアニメ全体において賭博が描かれる頻度の問題なんでしょうね。
しかし考えてみると、宝くじなんかも立派な公営賭博なのに、子供も合法で買えてしまいますからね。
大人のギャンブルも公営だと合法で、寺銭を国に払わないと違法だなんて、そんな虫のいい話って思います。
そういう欺瞞的部分にいくらでも突っ込めてしまうものを、良識を理由にして描写を禁ずるってことは難しい気もしてきました。

ところでアニメージュの件なんですが、
私は子供の頃値段が安いという理由でアニメディアを購読してまして、
今思うとアニメージュのほうが断然濃いんですよね。
その『じゃりン子チエ』特集号もそうなんですが、アニメージュは資料としてかなり価値があると思います。私も大人になってから古本で少し買い集めたんですがその号は持ってないですね。
「うちのお父はん」は高畑演出回の第11話後半にあたるんですが、それを聞くと納得です。
作画が異様に丁寧になる箇所がありますからね。
前半のAパートの文部省認定映画のシーンも作画がいいので、恐らく劇場版のどこかに挿入する予定で作ってたんじゃないでしょうか。
TVの企画は劇場版のあとから具体化したそうですが、TVの話がなかったらそれらの作画はお蔵入りだったのかと思うと・・・鬼のような人ですからありえますね。

【2009/02/23 20:23】URL | gugugu #R5fBW5y.[ 編集]


こんばんは。御久し振りです。
私もテツ同様全くの下戸ですので「家庭訪問」時の、苦手な人間相手に苦手なモノを飲まされるテツの苦痛が(珍しく)共感できます。仕事の席で、似た様なシチュエーションを体験してますので...(笑)
拳骨がチエに酒を勧めるシーンですが、豪放磊落な拳骨と杓子定規な渉との対比が鮮烈で、キャライメージの植え付けには成功しているのですが、やはり現在の基準では「問題あり」なのかもしれません。そういえば、チエとテツがおいちょかぶをするシーンもNGなんでしょうか。というより、小学生が店を切り盛りする設定自体がNG...?
もちろん配慮は必要なのですが、なんだか最近過敏になりすぎている気もしますよね。お行儀のいいお話ほどつまらないものはないですから。

81年1月号アニメージュは「劇場版じゃりン子チエ」が特集で組まれているのですが、当初のシノプシスでは原作の「ウチのお父はん」でエンディングを迎える予定だったようです。テツが生まれ変わろうとするところで終了と。
「Jr VS 小鉄」になったのは尺の問題かもしれませんが、変更になって良かったように個人的には思いますね。

【2009/02/22 19:37】URL | SATOYAMA #-[ 編集]

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