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じゃりン子チエ 第11話 「金賞!チエちゃんの作文」



高畑勲演出の第11話は、原作からふたつのエピソードを描きます。
Aパート(30分番組の前半15分)は映画鑑賞のエピソードで、Bパート(後半15分)は、作文の発表会のエピソード。
両方とも「父親」を主題にしたお話ですが、原作では本来つながりのなかったこのふたつの話を並べることで、
チエちゃんの中の父親への想いが強調される構成になっています。

まずは、食べ物のシーンを中心に順に紹介していきます。


■お見舞いのアジ

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Aパートの冒頭に、前回第10話でケガをした小鉄をジュニアが見舞うシーンがありますが、
原作ではこれはBパートで描かれている作文のエピソードの途中にあるシーンです。

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アジの干物は小鉄の好物

ジュニアが手に持っているお見舞いの品はアジの干物です。
普通頭から食べられるアジの丸干しは小ぶりなアジを使いますが、
猫のスケールを考慮してもこのアジは、小アジと呼ぶには少し大ぶりですね。
お見舞いの品のゴージャス感がでています。

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「アジでも食えや、元気でる。骨も食たほうがええど」
そういわれた小鉄は、ジュニアの頭突きであばらが4本も折れ、添え木を胴にぐるぐる巻きにしています。
骨折した骨が早くつながるようにもってきたお見舞いが、この大きなアジの丸干しだったのでしょう。

 ・百合根の目線のはなし

今回のこの場面は、劇場版のラストと同じく屋根に上るお見舞いシーンになっています。
(原作では、このやりとりは部屋の中で行われます)

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小鉄がアジにかぶりついてるところに、遅れて屋根に花束をもって上ってきた百合根が話しかけます。
「先日はどうも、うちのジュニアが迷惑かけまして・・・」

猫のケンカの後始末にここまでするとは、相当な猫好きなだけではなく、百合根が猫を完全に人間扱いしていることがよくわかります。

さらに原作では畳の上での出来事だったのを、高畑演出では百合根を屋根に上らせています。
この描写のおかげで、百合根の猫への人間扱いがさらに強調されているといえます。


ペットに話しかける姿だけなら日常によくある光景ですが、
普通は人間が猫の目線で猫に話しかけるときは、人間がしゃがんで、つまり猫の目線までおりていって話しかけます。
このとき女性ならば、赤ちゃん言葉を使うかもしれません。
ここでは猫はあくまで目下の存在であり、目線をさげて”やってる”わけです。

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しかし、百合根の場合は、猫と目線を合わせるときの考え方がまったく違うのです。
だからこういうことも平気で出来てしまいます。
彼は今回、自分から猫のテリトリーである屋根に上って行って、猫と目線をあわしているのです。
小鉄にはもちろん敬語です。

つまりこの場面では、百合根は猫と対等の目線にあわさせて”いただいてる”のでしょう。
べつに彼は猫を相手にいつも自分を卑下しているわけではなく、今回の場合は小鉄に対して責任を感じていることもあって低姿勢になっているだけで、百合根の猫に対する基本姿勢は、ただ人間対する姿勢と同じなだけなのです。
そしてそれが彼のすごいところであり面白いところです。

恐らく百合根の、こういった猫へ向ける目線の裏には、彼の家族に対する切ない想いがあるからなのですが、そのことがわかるエピソードは残念ながらアニメでは描かれません。


■テツとかりんとう

さてAパートでは、チエちゃんが学校の宿題のためにテツを誘って映画を見に行く様子が描かれます。
もちろん人気映画ではなく、文部省選定映画。
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劇場の暗闇の中では、かりんとうをバリボリと食っているテツの姿が。
チエちゃんにうまくのせられて一緒に映画館まで来たものの、本当はちっとも来たくなかったはずので、その不満が態度に表れてしまってます。
テツが二時間じっとしていられるはずもなく、このあと百合根にからんだり、劇場の客にケンカを売ったりとやりたい放題。
チエちゃんの親子で映画鑑賞という目的は達せられたものの、散々な結果になってしまいます。

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かりんとうを食いながら百合根にちょっかいを出すテツ


どうやら親子水入らずの映画鑑賞に百合根がついてきたことが気に入らなかったようですね。
文句をいいながらかりんとうを食べるテツ。

紙袋の音と、サクサクポリポリという音が館内に響きます。

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時間の経過を表すカットが入り、まだテツのかりんとうを食べるシーンは続きます。
(原作をみると、ここで一時間たっていることがわかります)

テツの貧乏ゆすり
足元をみると、同じかりんとうの空き袋がもう三袋も。
みかんの皮も混じってます。
そしてテツの足は貧乏ゆすりで小刻みに震えています。

4袋目のかりんとうをバリボリ食べるテツ。
映画はクライマックスで、チエちゃんは画面に集中していますが、
テツは食べるほうに集中している様子。
どんどん食べます。


ポリポリポリポリ…

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「しかししぶといオヤジやなあ。さっきから死ぬ真似ばっかりしやがって。はよ死んで終われ」

どうもこの映画が気に入ってないようですね。
じっとしてなければいけない状況に、だいぶストレスを感じている模様。
このあとテツは、この空気に耐え切れず、ついに騒動を起こしてしまうことになります。


 ・かりんとうは精神安定剤?

テツがかりんとうを食べるシーンは、以前にも紹介しましたが、そのときの状況も今回と共通点があります。
それは、テツが精神的に安定していないというところです。

(その記事はこちら)
じゃりン子チエ 第7話 「テツの最も恐れる日」

テツはスキヤキに砂糖をたっぷりいれるような甘党なので、そのためかりんとうが好物でよく食べているのですが、
逆に言えば、それくらいしか食べたい菓子がないということです。

甘いものには精神を安定させてくれる効果があるといわれています。
それは糖分を摂取することで、脳の安定に必要なある物質が生産されやすくなり、その分泌を促すからですが、その物質をセロトニンといいます。
セロトニンは脳内ホルモンで、リラックスしているときに脳内で分泌されています。

人間はストレスを感じると、リラックスを得るためにこのセロトニンを必要とし、無意識にセロトニンが分泌される行動をとってしまう傾向があります。
その方法のひとつが糖分や炭水化物をとることであり、これは「代理摂食」と呼ばれる行動です。
空腹でもないのに食べてしまうものはみな、この代理摂食に入ります。

動物は空腹でなければ食べ物を摂取することはありませんが、人間だけは違います。
大脳が発達した人間は、本来空腹を満たす欲望であるはずの食欲を、精神的な原因により空腹でないときにも発揮するのです。
仕事でストレスのある人や失恋した人がヤケ食いしてしまうのもこの代理摂食に当たります。
そしてその行為には、精神安定物質であるセロトニンが関係しているわけです。

こう考えると、ストレスに弱いテツの甘党には納得のいく理由があったのだといえます。
もちろんこの場面でのかりんとうも、そういった裏づけを考えながら見ると面白いと思います。

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ところで実は、もうひとつセロトニンを分泌させるのに有効な方法があります。
それは「体に一定のリズムを刻んだ刺激を与える」ことです。
そうです、例えば貧乏ゆすりです。

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小刻みなリズムで縦揺れするテツの足

貧乏ゆすりは無意識にやってしまうものですが、これはストレスを発散させるために無意識にやってしまう生理的現象だという説があります。
そのストレス発散の仕組みがセロトニン分泌であり、それを促がすためスイッチがリズムを刻む行為なのです。

ここでもう一度、このシーンを考えてみると、もうひとつリズムを刻む行為があることに気づきます。
それは、かりんとうを食べる動作です。
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以前、『みなみけ』のえびせんを食べる描写を紹介しましたが、
えびせんのキャッチフレーズにも「やめられないとまらない」とあるように、スナック菓子には食べるのが止まらなくなるような魔力があります。
みなみけ 第3話 「球蹴り番長再び」 - あにめごはん
http://gugugu001.blog70.fc2.com/blog-entry-70.html

このスナック菓子の魔力には理由があります。
スナック菓子は、ひとつぶが小さく、一口で食べられ、噛むとサクサクとした歯ごたえがあり、次々に手が伸びるようになっています。
すると、そこにおのずと単調なリズムが生まれます。
この一定のリズムを刻む体への刺激が、精神を安定させるセロトニンを発生させるために、その心地よさから途中でやめられなくなってしまうわけです。
ガムを噛むと心が落ち着くのも同じ理由です。
そして、甘党のテツの場合は、ポテトチップスやえびせんではなく、かりんとうがこの役目になるわけです。

この映画館のシーンは、大量の空袋や、リズムを刻む菓子、甘味、リズムを刻む貧乏ゆすりなど、
テツのイライラを表すための様々な表現が盛り込まれていますが、
こう考えてみると、それらの要素にはきちんとした理由があることがわかります。


 参考:朝日新聞 2009.2.2「食の健康学 満腹④」
           2009.1.31「止まらない食べ物のナゾ」
           2009.6.6「元気のひけつ かむ効果」




■映画のあとのお好み焼き

百合根のお好み焼きの店、堅気屋に、映画を見終わった三人がそのまま移動してきました。
テツのせいで映画どころでなかったチエちゃんはむくれています。
そのテツは、なんで娘が怒っているのかさっぱり理解してない模様。

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「さあ焼けたでー」

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「チエちゃん、お好み焼きでも食べて機嫌直して」


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「チエはよ食べてくれ。機嫌が悪いのは腹減ってるからや」
ソースを塗ってあげるテツ。

娘が何でいらいらしてるのかと考えてはみるものの、自分を基準にしか考えられないので、こういう発想しか出てきません。
Bパートで、作文に嘘を書いてしまって悩むチエちゃんの描写がありますが。
布団に潜ってでてこないチエちゃんを見たときのテツの発想もこれと同じで、自分の過去をそのまま娘にかぶらせています。
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「わし子供のときバナナ食いたなったらワケのわからんことゆうてよう寝込んだもんや」


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ここでチエちゃんは小鉄にエサをあげるのを忘れてた事に気づきます。
しかし百合根が、冒頭のお見舞いのときにカツオブシを置いてきたようで、チエちゃんもそれを聞いてほっと一安心。

原作では、このエピソードはジュニアの登場前なので、違った描写になっています。
百合根は小鉄のために、もう一枚おみやげのお好み焼きを焼いてくれるのですが、
原作のその描写のほうが百合根の人の良さがでていて私は好きです。



...おまけ(作品の感想と解説)



■ 文部省選定映画

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今回は、映画を見に行く話でしたが、この映画は「文部省選定映画」でした。
この選定映画とはなんでしょうか。
現在の文部省にあたる文部科学省のホームページに、こういう文書がありました。
「我が国の文教施策」(平成4年度)[第2編 第7章 第6節 1]
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpad199201/hpad199201_2_166.html


2編 文教施策の動向と展開
第7章 社会教育の振興
第6節 教育メディアの活用
1 教育映画等の振興


生涯学習審議会社会教育分科審議会の審査の結果により,教育上価値が高い映画等を「文部省選定」に,そのうち特に優れたものを「文部省特別選定」として,教育映画の制作奨励やその利用の促進を図っている。また,優れた教育映画などを買い上げ,都道府県,指定都市に配布し,映画教材の充実に努めている。

平成3年度の審査数は340本,うち選定となった作品は241本,さらに特別選定となった作品は13本であった。

また,近年,ビデオテープの審査数が増加しており,平成3年度の審査数は113本,うち選定となった作品は85本であった。


審査方法や審査基準などが書かれた文書もあるので、興味ある方は見てください。(pdfファイルなので注意)
教育映像等審査規程
(昭和二十九年文部省令第二十二号)
http://www.mext.go.jp/a_menu/shougai/movie/main9_a1/001.pdf


さて、この文部省選定映画ですが、『じゃりン子チエ』の中では、
あまり良い描かれ方はしていません。

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        どこか笑いを誘う強烈な看板

まず看板からして明らかな悪意があります(笑)
「あなたはバケツ何杯泣けるか」という煽り文句にも皮肉たっぷりです。
このあたりは原作漫画そのままで、原作者のはるき悦巳先生は、恐らくたいへんな映画好きな方なので、
映画ファンの立場から、作中にこういうお堅い教育的映画への批判を入れたかったのだと思います。

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この映画は、感心な少年が不幸に負けじと奮闘する姿を描いた陰気かつシンプルな内容のようです。
モノクロの画面の中では、感心な少年が病気の父を看病するという、まるでドリフのコントのようなやりとりが繰り返されます。
それを大真面目にやっているのだからたまりません。
いわば、子供にはちっとも面白くない映画だというわけです。
これではテツがイライラするのもわかる気がします。

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 じっとしていられないテツ

「まるで子供や・・・」
これは作中で、百合根にからむテツをみたチエちゃんのセリフですが。
チエちゃんがつぶやいたように、テツは子供のまま大人になった人物。
その”子供”のテツにこの映画のメッセージはまるで届いていません。

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むしろ映画のメッセージは大人である百合根に届いてしまった模様。

映画の発信者と、それを受けとる側の齟齬を、この場面では
子供の象徴であるテツと、スクリーンの中とを似た動作で対比させることで鮮やかに浮かび上がらせています。

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後ろの席の観客を追いかけてカメラに向かって突進してくるテツと、
スクリーンの中でカメラに突進してくる感心な少年。

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画面の中とリンクする劇場内の出来事。

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    「ぼくは負けない!」         「ボクも負けない!」 


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テツにはなんの教訓にもならなかったのでした



このように皮肉たっぷりに描かれた「文部省選定映画」ですが。
実際のところ──とくに最近の実情はどうなのでしょう。


自分自身の子供時代を思い返すと、
『じゃりン子チエ』の作中のように切符をもらうことはありませんでしたが、
よその学校の体育館や市民会館に集められて映画をみさせられたことは何度かあります。
内容はさっぱり覚えていません。

また、職員室前の廊下にはよく映画のポスターが貼ってあった記憶がありますが、
あれが文部省選定映画だったのでしょうか?
その映画のタイトルも覚えていません。本当に興味がなかったのでしょう。
子供の見たい映画と、大人が子供に見せたい映画には、決定的に開きがあるのだと思います。

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しかし、私は学生の頃に自分の意思で文部省選定映画を観に行ったことがあります。
太宰治の『走れメロス』をアニメ化した映画でした。
これはルパン三世のおおすみ正秋の劇場オリジナル初監督作であり、なによりもTVCMでみた画面の美麗さと、文豪の作品を新しいアニメ技術で全力でつくるという趣向の面白さに惹かれ、友人を誘って観にいきました。
観たあとに、とりたてて感想はなかったのですが、期待したものには十分応えてくれていた映画だったと思います。

『じゃりン子チエ』の中では、閑散とした映画館が出てきますが、
このときの『走れメロス』のかかっていた劇場はこれより閑散としていて驚いた記憶があります。
清潔でおしゃれな単館系の劇場ではありましたが、少な目のシートには自分達のほかに客がほとんどいませんでした。
わずか数名のために映写機をまわすのですから贅沢な話です。

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となりの映画館は行列を作ってるというのに、文部省選定のほうはガラガラの閑古鳥

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うらぶれた風情漂う通路

先ほどの文部科学省のHPに、最近の選定映画のリストがあるんですが、
このリストを見る限り、それほど世間の感覚とかけ離れた映画が選ばれてるとも思えません。
むしろヒット作の名前が目立ちます。
教育映像等審査制度:文部科学省
http://www.mext.go.jp/a_menu/shougai/movie/main9_a1.htm

お上が映画にランク付けして、教育的であるとお墨付きを与えたり、あまつさえ庶民、とくに子供に見せるべき映画を選定するという行為自体には、なにか間違ったものを感じますし、『じゃりン子チエ』の中で描かれたような「反感」に共感も感じますが、
例えば私が観た『走れメロス』のような金のかかる弱小映画は文部省認定くらいの箔がつかなければ、大赤字を出して、今後二度とそのような映画を作る機会がなくなってしまうかもしれません。
(というかあの閑散とした劇場を思い出すと、実際に大赤字をだしてて二度と作られないのかも)
もし選定によって、少しでも地味な良作映画の振興に役立っているのだと思えば、このような認定制度にも役目があるのかなと思います。


■ 教育者花井渉

第11話のBパートでは、『じゃりン子チエ』の中でも屈指の名場面である、チエちゃんが作文を読むシーンがあります。
この作文は、担任の花井先生の機転でコンクールの金賞をとってしまったために、みんなの前で読むはめになりました。
しかしその作文の内容は、現実とは違う空想の生活を書いたものでした。
その作文の発表会に集まったチエちゃんの家族達は、それぞれ神妙な面持ちでこの作文の朗読を聴くことになります。

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嘘を書いたからと落ち込むチエちゃんを先生は説得しますが、
高畑勲演出のアニメでは、原作のこの部分を膨らまし、作文を読むことを拒否するチエちゃんの描写が入っています。
そしてそのあとに続いて花井先生の独白があります。

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「先生わかれへんの。あれもうヤケクソで書いたんや」

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「僕はやっぱり親父のいうように、教科書どおりの教育しか出来ないのかな」

なぜ「教科書どおり」というフレーズがここで出てくるかというと、
今回の花井先生の行動は、教科書どおりとはとてもいえない型破りな行動だからです。
なにせ、生徒の作文の内容が真っ赤な嘘だと知りながら、最後の一文を改ざんしてコンクールに出してしまったのですから。
このことは「メチャメチャや…」というチエちゃんのセリフが端的に現しています。

花井家では親子二代で教師をしており、この先生のセリフにでてくる「親父」とは、彼の父親である花井拳骨です。
この先生の独白は、第7話で彼の父親である花井拳骨にいわれたセリフを受けています。

じゃりン子チエ 第7話 「テツの最も恐れる日」 - あにめごはん
http://gugugu001.blog70.fc2.com/blog-entry-107.html


飲酒を止めようとした先生(花井渉)を拳骨は一喝して殴り飛ばします。
「バカタレ! お前みたいな教科書どおりの教育で、この異常な一家を立ち直らせられると思うとるのか」

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二世代で竹本家に教育者として関わる花井親子

この場面は、原作だと花井先生とチエちゃんの会話以外になんの説明もないので、
この花井先生の行動からは、彼が表面上はかしこまっていても、やはり破天荒な教育者である花井拳骨の血をひいた人物であることが読み取れるのですが、アニメ版では新たに加わった描写によって若干解釈が変わります。

このとき、拳骨のセリフが花井先生の念頭にあったとすると、今回の花井先生の行動には、父親の教育姿勢を受け継いで実践しようとする意図があることになります。
アニメ版では「教科書どおりの教育しか出来ないのかな」と自問自答した渉が、すぐに自らのその問いを否定する描写が続いてあります。

自分のしでかした事で生徒が泣いて走り去ったというのに、たちこぎでブランコをゆったりと漕ぐこのときの花井先生の姿からは、教育者としての自信のようなものが伝わってきます。
それは父親のもつ教育観とはまた別の、彼本人のうちからにじみでた信念が現われているように思えます。

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ゆうゆうとブランコをこぐ渉

この作文の朗読をきいた大人たちはそれぞれ動揺しますが、いくら彼らに訴えかけようが、テツを含め大人はそんな簡単には変われませんし、家庭の事情に介入しても教師には限界があります。
その限界の枠を飛び越えて家にまで入ってくるのが拳骨なのですが、息子の渉は違います。
恐らく花井先生の目論見はそんなところにはまったくなく、生徒のチエちゃんが自分の本当の気持ちに向き合い、将来どうなりたいかという気持ちを表すことをなにより大事に思っていたようです。

子供の可能性を導いてやるのが教育だとすれば、渉は教育者だといえるでしょう。
それは教師という肩書きと必ずしも相性が良いものだとはいえないかもしれません。

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めずらしくシリアスな顔のテツだが、彼は絶対に変わらない


この記事に対するコメント

ぼくは負けない!


主人公の少年を菅谷政子がノリノリで演技してるのと陰影が強すぎて出崎統っぽいのがおもしろいです。

【2013/12/05 17:50】URL | バッファロー #-[ 編集]

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