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涼宮ハルヒの憂鬱 第3話「涼宮ハルヒの憂鬱 II」

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2006年前半、オタクの話題を一気にさらった『涼宮ハルヒの憂鬱』です。

これがウケた要因はいろいろあるのでしょうが、『新世紀エヴァンゲリオン』が流行ったときの岡田斗司夫氏のコメントを借りるならば、幕の内弁当みたいにいろいろな要素が詰まっているということが挙げられると思います。

なにせ幕の内ですから、私の好きなおかずも当然あって、
学園生活のリアルな描写が私の場合、それにあたります。

この作品では、(原作でその意図はすべて完成してはいますが)
アニメ化の際に、部活動や学園生活の空気といったものが、演出家の意図によって(特にといってもいいでしょう)、かなり力を入れて描かれています。

原作者谷川流も、演出家と意気投合する部分があったのか、
谷川氏がアニメ化の際に書き下ろしたオリジナル脚本では、その嗜好が一気に爆発しているように思いました。
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その学園生活の小道具として頻繁に使われているのが、やはり食べものです。

これは第3話でのお弁当シーンですが、
谷川氏の原作小説では、言葉少なながら、ねっとりとした筆致で、誰がどういったスピードで、どうお弁当を食べるかまで描写されています。

社会人の方は、昼食を食堂や外食ですます人も多いでしょう。
大学生なら、学食ですます人も多いでしょう。

職場でお弁当を食べない人間にとっては、
母親がつくってくれた、あの冷えたごはんとおかずで構成された「お弁当」というものは、学園生活の一時期にしか食べることが出来ないレアなものです。

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この番組は若い人向けに作られていますので、
現在、高校や中学に通っている視聴者は、自分の学園生活に通じる記号として「お弁当」を捉え、

逆に、高校を卒業してしまった層には、
ある種の郷愁を含んだ、感傷的な演出として感じるのではないでしょうか。
今高校に通っている人も、卒業するときには、もう教室でお弁当を食べることはないのだなと想いいたることだと思います。

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原作者の谷川氏も演出家の石原氏も、高校を卒業されてからずいぶん経ってますので、
年齢の近い私としては、そういう意図のほうを感じました。
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第3話では、2回のお弁当シーンがありますが。
その二回目は、狂言回しとしての主人公キョンが、部室でヒロインであるハルヒに頼まれたホームページ制作をしながら弁当を食うというシーン。

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一度目で、教室で級友と弁当を食べ、二度目ではイレギュラーな場所で食べる。
こういったバラエティのある弁当視点の演出は、思い付きなどではなく、かなり緻密な計算で挿入されてる学園生活の空気を表すための記号だと思うのです。
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このブログ的にもうひとつ、注目すべきは、
キョンが長門の家に呼ばれたときのお茶のシーンです。

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長門有希は人間ではなく宇宙人です。
統合思念体という本体とアクセスしているので宇宙人ということになってはいますが、
キャラ的にはむしろ、生物的なロボットとしての性格が近いと思います。


長門は学校で食事をしている描写は一切ありませんが、
それも、食わないことでロボット的キャラを演出しているのだと思われます。
のちに、コンビニの弁当をさげて歩いている描写があるので、食事は人間と同じにしているようですが。

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ともかく長門というキャラを表す手段として、小道具に飲食を使っているのは、
食べ物で共感を呼ぶという「共感の演出」のセオリーを間逆にした、「異端の演出」のセオリーといえます。

このシーンでは、長門がキョンにお茶を何杯も薦めます。
キョンは出されたものを断るのも気が引けたのか、それを出されるままに次々飲み干します。
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このコミュニケーションのすれ違いだけで、二人の間に宇宙的な規模の広がりがあることが、じわりと迫ってくるような秀逸なシーンです。
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TVアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』は、超監督として作中のヒロインであるハルヒがクレジットされてることからもわかるとおり、現実とフィクションの垣根を超えて作品を俯瞰視する、メタフィクションとしての趣向がある作品です。
放送そのものに、メタフィクショナルな手法としての機能が備わっていました。
その代表的なものが放送順です。

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アニメ版では、原作と違って、時系列がめちゃくちゃに配列され放送されるという、通常の原作付きテレビアニメとは違った放送のしかたでした。

発売されたDVDでは、時系列順に収録されていますが、
私はTVアニメーション『涼宮ハルヒの憂鬱』という作品は、あの放送順で正しかったと思っています。一見メチャクチャに見えて、実に計算された構成だと思うからです。

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とくにこういったメタフィクショナルな趣向が前面にでる作品ならば、放送当時の勢いまで含めて「作品」であり、それは放送時の視聴者の困惑や熱狂といった事象そのものを指していると思います。

なので、このブログでは放送順を話数として数えます。

放送順と時系列については、wikipediaの対応表がわかりやすいです。

涼宮ハルヒの憂鬱 - Wikipedia

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