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THEビッグオー Act:03「Electric City」(その2)

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この作品の主人公は、ネゴシエイターのロジャー・スミスですが、
ロジャーと同じくらいウェイトを置いて描かれているキャラクターが、彼の片腕となるアンドロイドの少女ドロシーです。
第三話の冒頭にドロシーの食事シーンがあります。



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スクランブルエッグをいらいらしながら突つき、
ドロシーを眺めているロジャー。

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モーターの回るような音を立てながら、カップをつかむ動作を機械的にこなしていくドロシー。
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パカッと口が開き

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続いてカップをかたむける。


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「そうか、真似てるだけなんだ。だから不自然なんだ」

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そのとき停電が起こり、食堂も真っ暗になってしまいます。
最近この街では停電が頻発しているようです。


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頭のCD挿入口をイジェクトして、明かりの代わりにするドロシー。
「食事を続けたら?」


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やめてくれ!と悲鳴をあげるロジャー。
彼の優雅な朝のひとときは、ドロシーの出現によってめちゃくちゃになってしまいました。




食事は、私たちが普段普通に行っている行為であるだけに、
この演出で語られていることは、生理的な感覚を伴っていると思います。
このシーンは、「食事」という行為を通して、「アンドロイドの本質」を描いています。


それでは「アンドロイドの本質」とはなんでしょう。

アンドロイドは「人造人間」。
人の手がつくった人のまがい物です。

人造人間 - Wikipedia


今回の食事シーンの演出意図には、
アンドロイドが人間と違う種族であることを再確認するという意味があると思います。

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では、なぜそんなことを再確認する必要があるかというと、
それはアンドロイドが人と似ているからに他なりません。

そして、それこそが「アンドロイドの本質」なのです。
人を真似て作るところにアンドロイドの意義があります。

ドロシーは、機械仕掛けですから、彼女にとって食べるという行為は無意味です。

しかしアンドロイドは人を真似て作ったロボット。
動く「人形」です。


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 爆風で木の葉のように揺れるドロシーの姿はまるで人形。(第一話より)

人形は、その姿に人の面影を映し、見る人に「人間」を想起させます。
そういったことにこそ、人の形をしている意味があるはずです。
アンドロイドが人の真似をすることは、
アンドロイドの最重要な使命といえるのではないでしょうか。

ですから、「アンドロイドの本質」を厳密に論じるならば、
それは「人間と違うこと」とは真逆。
人間を上手に真似ることであり、
人と見紛うばかりに行動も人間になるべく近づくこと。
究極的には、彼らの食べる姿は人間とまったく同じであるべきなのではないでしょうか。
しかし、そこには恐らく限界があり、決して人間にはなれないのもアンドロイドです。

ドロシーの食べ方は「人間として」まだまだ大きな欠陥がある、つまりアンドロイドの使命をまだ果たせていないだけなのだと思います。

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考えてみれば、アニメのキャラクターもアンドロイドと同じです。
人間を模して生み出された以上、彼らが生身の人間と同じ行動をとるのは、彼らの使命なのです。
だからこそ、「人間のように」食べ物を食べるシーンが重要になってくるのです。

見ている視聴者に「真似てるだけなんだ。だから不自然なんだ」といわせないよう、
生身のアニメーターが神経を注いで描いた作画には、人を感動させる力があると思います。





■R・ドロシー・ウェインライト

 ・ロボットアニメの中のアンドロイド
『THE ビッグオー』はいわゆる「ロボットアニメ」です。
タイトルともなっている巨大ロボ、ビッグオーの魅力が作品の前面にあるのはもちろんなのですが、同時に作品の演出の半分くらいは、この小柄なアンドロイド、ドロシーの描写に注がれているように思います。

アンドロイドは、その性質からして、
「ロボット」と「人間」をつなぐ存在に思えます。
そして実際にこの作品でも、そういう演出がされています。

この作品では、ロボットであるドロシーに「感情」があること。
そしてそれは人間であるロジャーへの恋愛感情だということが、かなり早い段階で描かれています。
それは彼女の内面に、生身の人間と同じものがあるということの最大の証しなのでしょう。



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第三話の最期では、無表情ではありますが、激しくブルースを弾いているドロシーがでてきます。

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このとき彼女が、名刺を破ってゴミ箱に棄てていたことが明かされますが、この名刺は、謎の美女エンジェルがロジャーに差し出したものです。
きっと女性客に顔を緩ませるロジャーをみて嫉妬したのでしょう。

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・ドロシーと綾波
普段はつんとしていて、たまにこういったかわいい一面を覗かせるという女性キャラの”属性”を「ツンデレ」と呼びますが、
その派生のなかに「素直クール」とか「ロボデレ」といった分類があり、
ドロシーは、ロボットなだけに、そのまんま「ロボデレ」なキャラクターじゃないかなと思います。
(もっとも、ネット検索してみるとロボデレの明確な定義はでてこず、ロボデレの「ロボ」は、ロボトミーの「lobo」が語源という記述もありました)


こういった”キャラ属性”の分類は2000年代になってから言われ始めたものですが、
ビッグオーはそういった現象の前に作られた作品であり、
属性云々というよりも、当時流行っていた『新世紀エヴァンゲリオン』に出てくる人気キャラ、綾波レイの派生キャラのひとりとして数えたほうが良いと思います。

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『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイ

綾波レイの最大の特徴は、無表情・無関心でありながらも、その反面で主人公を身を挺して守ってくれるような母性にあったと思います。

一部のオタクが綾波に熱狂したのは、その母性もさることながら、感情を表さず、主人公を無条件で受け入れてくれる少女という「記号」に萌えたからであり、自らの勝手な欲望を、自由に投射できる都合の良い存在だと捉えたからだと私は考えていますが、
これは綾波が、自分の願望をもたないパーソナリティが希薄なキャラだったことに起因しているのだと思います。

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そして、綾波が強い感情を示すとき、それらは常にゲンドウやシンジといった身内キャラに対して発動するものであり、その特異な出生ゆえに、生まれたときにすでに持っていた情報が元になっているように思えます。



ドロシーは、綾波派生のキャラというのは間違いないと思いますが、
綾波とは違って、確固な個性と意思をもった自立したキャラだったと思います。

ドロシーの感情の元が「メモリー」であり、
そのメモリーは、ドロシーのモデルになった実在した少女のものであることが匂わされているので、「生まれたときにすでに持っていた情報」という、その点では綾波と同じなのですが、
「自分には何にもない」と自己分析していた綾波とは違い、ドロシーはメモリーを受け継いだままにフルに発揮して自分の意思で生きているように思います。

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父親の役割をもつ人物には、人間的な表情を見せるという設定も綾波と通じる。

出生の秘密そのものに縛られ、生まれながらに感情までがすでに完成された感のある綾波に対して、ドロシーは自分の意思で行動し、自分の思うままに「人生」を選択していきます。

オタクの世界では「メイド」という職業は、「従順」のメタファーであり記号にになっていますが。メイドという境遇でさえ、ドロシーは自分で選択し、雇用者であるロジャーに対しても常に対等なのです。

ドロシーがロジャーを好きなのは、メモリーにインプットされた情報ではなく、メモリーから発生する彼女のパーソナリティが、ロジャーを選んだということです。

表面ではロボット的な部分を強調して、内面では実に感情的で人間的。
それがドロシーの魅力だと思います。

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