■ チエの好物ぜんざい
「おいしいわ」
「ほんまにおいしいですなあ」

TVアニメ『じゃりン子チエ』には、食べ物を食べるシーンがたくさん出てきます。
主人公のチエちゃんが、最初に食べたのは好物でもあるぜんざいでした。
おばあはんが冷や汗をかきながら、チエちゃんにぜんざいをおごってるのは、
孫娘をかわいがっているわけではなく、
テツを育てた母親であるおばあはんへ、
非難混じりの疑問をストレートにぶつけてくるチエちゃんをうまくかわすためでした。
「チ、チエ。ぜんざい食べに行きまひょ・・・!」
「うちおばあはんに言いたいこといっぱいあるで」
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この一連のシーンは原作漫画にも劇場版にもない、TVオリジナルのもの。
このシーンが挿入されたおかげで、
チエちゃんと祖母(おばあ)と、不肖の父親テツの微妙な関係が、
わかりやすく視聴者の頭に入ってきます。
のちの相撲大会編で、おばあはんとチエの間に、
以下のようなような短いやりとりがあります。
「この頃だんだん分かってきたけど テツあないになったんは おばあはんの教育が悪かったんちゃうか?」
「とうとうチエにゆわれてしもた」
そこから逆算して創作されたのが、第一話前半のこのシーンだと思われます。
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ところで、TVシリーズのチーフディレクターでありながら、
現場にはあまり関わっていなかったという高畑勲監督ですが、
チーフディレクターとして、TVシリーズのための準備期間が少しはあったはずで、
たとえばこの第一話の演出には別人の名前がクレジットされていますが、
第一話から数話のあいだは、(具体的には高畑監督が演出を直に担当した最後の話数である16話まで)
高畑勲本人が、その演出論を行使していたと考えるほうが自然だと思います。
この冒頭の水増しされた短いエピソードをひとつとっても、
テツという男がいかにやっかいな人物で、チエちゃんがいかに苦労してるか、
おばあはんやおじいはんがテツをどう扱っているかなど、
この作品を理解するうえで必要な基本的な情報が、一挙に視聴者に「ひとつのイメージ」として伝わってきます。
こういう冴えたところには、やはり高畑監督の意思が反映されてるのではないかと思えるのです。
このシーンでは、演出の小道具にぜんざいが使われたわけですが、
食べ物を描写するのが超絶にうまいのが高畑監督であり、
同時にヒトとヒト、モノとヒトなどの、「関係性」を非常に大事にする監督でもあると思います。
この第一話からして、得意の「食べ物描写」を使い、「人間関係」を浮き彫りにするという巧みな演出をしているのです。
■ホルモン屋の客たち
チエちゃんの家は、祖父母と同じ稼業のホルモン焼き屋です。
しかしこの店をやっているのは実質小学生のチエちゃん。
労働基準法も児童福祉法もへったくれもありません。
「うちが働かな生きていけんのや」
「テツ食わしとるのはうちなんや」
これは原作で店が営業停止になりかけたときの、チエちゃんのセリフですが、
あまりに悲愴なシーンだっためか、アニメでは映画TVともにカットされてしまいました。


チエちゃんの店のホルモンはタレに漬け込んで味をしませた自慢の一品


ひとりで調理から給仕から全てこなす働き者のチエちゃん
西荻というのは架空の町ですが、原作者が幼少期を過ごした、
大阪の西成区萩ノ茶屋界隈をモデルにしているといわれています。
アニメでは新今宮駅の反対側に位置する新世界のあたりでロケハンを行ったようですが、
いまの新世界は整頓された観光地のイメージが強い街なので、
新今宮駅を境にガラリと雰囲気が変わるという南側の萩ノ茶屋界隈と比べると、ややものたりないような気もします。
しかしアニメの雰囲気は原作のそれをよく再現していると思うので、ロケ隊は新今宮駅から南側にも足を伸ばしたのかもしれませんし、
ロケハンが行われたのは、時期的に新世界が今のように観光地化する前なので、十分事足りたのかもしれません。
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萩ノ茶屋周辺は、あいりん地区と呼ばれ、日雇い労働者の街です。
簡易宿泊所が軒を並べ、そこで寝泊りする労働者たちは、
夜になると日雇いで稼いだ金を持って駅周辺の歓楽街へ繰り出してきます。
チエちゃんの店は、1串50円という値段でホルモン焼きを出している、労働者のための一杯飲み屋です。
彼ら労働者が、一日の疲れを癒し、明日の労働力を養うために通ってくるのがチエちゃんの店。
店にでているときの彼女のたくましい笑顔は、彼らのための営業スマイルの側面もあります。
客たちもチエちゃんの笑顔を見に通ってくるのかもしれません。
このことは、チエちゃんが不機嫌でブスッとしていたときに売り上げががた落ちしたことや、
「うち意外とおっさんに人気あるんやで」というセリフからも伺えます。
■ 謎の酒ばくだん

チエちゃんの店には、ビールや日本酒も置いてますが、
ほとんどの客は高いので飲みません。
酒といったら「ばくだん」と呼ばれる酒がでてきます。
「ばくだん」は「ホルモン」と並んで、チエちゃんの店の象徴的なアイテムですが、
この酒は戦後の一時期に出回っていた密造酒で、
酒税逃れのために、人体に有害なメチルアルコールを飲酒用に精製した危険な酒です。
この酒については、『じゃりン子チエ』の研究サイトで有名なここに詳しいので紹介しておきます。
関西じゃりン子チエ研究会:今明かされる「ばくだん」の真実
私もこのサイトを読んで、筆者の方とほぼ同じ感想をもちましたが、
「ばくだん」は『じゃりン子チエ』の世界にしかない架空の酒とみるのが正しいと思います。
ばくだんを飲む客とのやりとりで「飲みすぎると頭がおかしくなる」という類のセリフが頻繁にでてきますが、
これが密造酒の爆弾だとすると、時代錯誤でもあるうえに、
その危険性は、死亡の可能性を除くと失明の危険が第一にくるはずなので、
ばくだんを描くならば、これらのチエちゃんのセリフはかなりリアリズムに欠けることになります。
ただ、メチルアルコール由来の粗悪酒ばくだんが、チエちゃんの店の「ばくだん」のモデルだということはできると思います。
原作者のはるき悦巳先生自身がテツと同じ酒の飲めない下戸ということや、はるき先生の生年が1947年ということを考えると、
この酒は、幼少期のドヤ街の怪しい雰囲気を再現することが最優先された結果の、ネーミング重視のアイテムだということだと思います。
そしてその狙いは大成功だと思うのです。
ばくだんは、ホルモンと並んでチエちゃんの店の代名詞ともいえる名物になっています。
ところで第一話には、チエちゃんが飲みすぎの客に水を差す場面が二回出てきます。
ひとつは映画からの転用場面で、原作にもあるシーンですが、
もうひとつはTV用に挿入されたオリジナルです。
なぜ似たようなシーンを二度も入れたのかと考えると。
それが、とくに強調したいことなのだからでしょう。

粗悪酒「ばくだん」を飲んでウサを晴らす自暴自棄な男

「それよりおっさんこれで5杯目やど」
「心配すな金はあるわい」
「金のことやない。あんまり悪い酒飲んでるとアホになるど」
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「それ以上飲んだら頭おかしなる」
「なんやとこらチビ ワイの金で飲むの何が悪いんじゃ 酒じゃ酒酒!」

チエちゃんの愛深き一撃
「またきてやー」
客が酔うほどに儲かる水商売ですが、チエちゃんもえげつない商売は好かんのでしょう。
商売っけまるだしのようで、客の体調を気づかうチエちゃんの店は、温かみにあふれた優良店なのです。
テツが店主のときは、ぼられますが。
■小鉄のどらん猫時代
小鉄は第3話でチエちゃんと出会うため、
まだこの時点では野良猫として放浪生活をしています。
ケンカに明け暮れつつ、池で釣りをして空腹をしのぐような生活。
そんな小鉄の食事シーン。
自分で火をおこして、魚を焼いて食べてますね。
この世界の猫は極度に擬人化されていて、それが作品の大きな楽しみのひとつになっています。
■ TVアニメーション『じゃりン子チエ』
『じゃりン子チエ』は、1978年から漫画アクションに長期連載されていた人気漫画。
連載開始から3年目に、アニメ界の大御所高畑勲の手で映画化され、
そのままTVアニメになりました。
連載は20年近くにわたり、単行本67巻まで続く長期連載作となりました。
TVアニメは、一作目のほかに、90年代に入ってから関西ローカルで放送された続編があり、
今回は高畑勲監督も関わっていたTVの一作目を扱います。
大阪のドヤ街の一角で、ホルモン焼き屋をやっているチエちゃんは小学五年生。
父親がバクチ狂いで遊び歩いて、まったく働かないので、子供のチエちゃんが、稼業のホルモン屋を切り回して親の代りに稼いでいます。
作品は、このチエちゃんを中心に、友達や周りの大人たちのドラマを丹念に描きます。
テツをはじめとして一癖も二癖もある人ばかりなので、
エピソードのどれもが、キャラクター同士の火花が散るような秀逸なドラマになっています。
これら原作漫画ですでに完成されている要素は、
人間関係を俯瞰で冷静に見つめる名匠高畑監督の演出の方向性とも、非常に相性が良いと思われます。
TVアニメは、原作のよさをさらに倍掛けにするような方向で制作され、
原作者にとってもファンにとっても、当時考えうる中で最高のアニメ化をしたといえるんじゃないかと思います。
まず当時のTVアニメーションの中では、かなり絵がきれいで原作のイメージを損ねていません。
大塚康生や小田部洋一など、そうそうたるアニメーターが参加していた劇場版の仕上がりはいうまでもありませんが、
TVでもその流れを汲んでいるので、劇場ほどではないにしろ安定した作画を維持しています。
豊かな表情の変化が見所
そして、この番組の本当にすごいところは、キャラクターに存在感があることです。
「存在感」などと、よく使われる言葉を用いると、あまりありがたみがないかもしれませんが、
「そこにそのキャラが存在している」ことを表現するのはとても難しいのです。
これができているアニメは、見る人の心にぐさりと楔を打ち込みます。
そして『じゃりン子チエ』もそういうアニメなのです。
さて、これまでも何度か書いたように、
高畑勲監督は関係性を大事にする演出家だと思うのですが、
そのためには関係の基点となるキャラクターを深く掘り下げることが前提となります。
丁寧な演出で「キャラクターを生かす」ことは、高畑監督の演出の基礎となっているのだと思います。
そのための方法論として、高畑勲監督は「生理的」なツボに訴えかけるというテクニックをよく使います。
人間の三大欲求は以下の3つですが、
食欲
性欲
睡眠欲
生きている人間ならばかならず持つであろうこの「欲」に関する演出をすることで、
架空のキャラクターに命を吹き込むことができます。
そして、このブログのテーマである「食べ物」も、そのひとつに数えられる演出のテクニックなわけです。
高畑勲監督の迫力満点の食事シーンの紹介は次回からにまわすとして、
この第一話では三大欲求のなかでも、描かれる頻度がとくに少ない、「睡眠欲」に関するシーンがあるので、これを紹介します。
■生活リズムと就寝
人間は生きていますから「生活」をします。
朝起きて、昼働いて、夜就寝する。
このリズムを作中に描くことで、生活感が増し、キャラクターや舞台がより身近に感じられます。
中でも「就寝」は生活の中で今日と翌日を区切る意味があり、作品に大きなリズムを刻むことになります。
これは多くのアニメーションが自然にやっていることです。
昼間の元気なチエちゃん
しかし、多くの作品では、これらの描写は、
物語の中の時間経過を表現する小道具としてほとんど記号化してしまい、
右から左に消費されていくような雑な描かれ方しかしていません。
これらを「演出」としてこだわりをもってやっているアニメはごく少数です。
『じゃりン子チエ』の第一話には、原作にはないチエちゃんの就寝シーンがあります。
これがあまりに素晴らしいので、
このブログのメインテーマである「食事」と同じ扱いとしてここで紹介します。
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最後の客が変えると、チエちゃんは、店の収支を帳面につけ、
後片付けをします。
それが終わるとようやく自分の時間。
宿題をいまやらないと、またマサルにからかわれてしまいます。
しかし、この日は店が忙しかった疲れからか、
宿題の途中で眠気が襲ってきます。
「宿題・・・」
そういいながら、目は閉じかけています。
意識が混濁しているのでしょうか。
意思に反して、いそいそと寝支度を始めるチエちゃん。


うつらうつらとしては、
今にも消え入りそうな緩慢な動きで布団を引き出すチエちゃん。
やわらかい布団の中は夢の世界へと続くトンネル。
吸い込まれるようにもぐりこむチエちゃん。
無意識に足で電灯のスイッチを消しています。
「宿題・・・」
表では、夜遅く帰ってきたろくでなしの父親テツが、
扉をドンドン叩いて「入れてくれー」と騒いでいます。
その音に一度だけ目を覚まし、よほど気になるのでしょう。
また宿題とつぶやいて目をとじます。
今度は目を開けることはありませんでした。


静かに寝息を立てるチエちゃん・・・
このシーンは、昼間の活動的な姿を描くのと対照的に、
静かに眠りに落ちる姿を描くことで、逆説的にキャラクターからあふれでる生命力を表現していると思います。
また明日ぴかぴかの太陽が昇ってくるまでのあいだ。
彼女はしばし体を休めるのです。
おやすみなさいチエちゃん。
宿題やってないけど。




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