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じゃりン子チエ 第3話 「激突!小鉄対アントン」



チエちゃんの家は、番組の初期では父子家庭でした。
お母はんがテツに愛想を尽かし家出していたのです。
しかし、お母はんとチエちゃんはテツの目を盗んでときどき会っているようで、今日がそのデートの日です。


■お母はんの巻き寿司

お母はんは、このとき初登場となりますが、
登場時からずっと抱えている包みが気になりますね。

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公園でボートに乗ったりと、ひとしきり遊んだあと、
いよいよその封印が解かれるときがきます。
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重箱の中には、チエちゃんの好きな巻き寿司がギッシリ。

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「わっ、バッテラもある」


両手に海苔巻きとバッテラを一個ずつ持って、食事を始めるチエちゃん。
このシーンでの動画の密度は異様なほどで、チエちゃんがかなり細かい動作をします。
そしてそれを異様と感じさせないさりげなさこそが、このシーンのすごいところでもあります。

 

口に入ったバッテラ寿司が、そしゃくするたびに右に左に動きます。
続いて海苔巻きです。



一度口に運びかけた海苔巻きを戻して、
会話を優先するチエちゃん。
芸が細かい演出です。



リアリティを追求し、何パターンもの口の形で表現したそしゃくだけでなく、
指についた米を唇ですくい取る様子までが丁寧に描写されます。
この間チエちゃんは、お母はんとの会話も同時にこなしながら、勢いよく食べていきます。

一方で、寿司には手をつけずうつむくお母はん。
元気なチエちゃんと対照的です。
店を手伝っているというチエの話を聞いて、娘を不憫に思っているのかもしれませんが、
それよりも、そんな娘をひとり置いて家出してきたことへの罪悪感があるのでしょう。

チエちゃんは、そんなお母はんの心境を知らずか、
美味しい巻き寿司を堪能して楽しげな様子。
続いて、卵巻き寿司に手を出します。

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ここでチエちゃんは不思議そうな顔でお母はんを見つめます。
娘が食べるのを見てるだけで、自分はちっとも食べないからです。

お母はんは「つくりながらいっぱい食べたからおなかいっぱい」と説明。



「あははつまみ食いや。うちもようやるねん」

チエちゃんは、卵寿司を食べながら元気よく笑います。

お母はんがつまみ食いしてきたというのは、本当かもしれませんが、
手をつけないのは恐らく、娘の好物を好きなだけ食べさせてやりたいという親心からじゃないでしょうか。
この笑顔を見たくて作ってきたお寿司のはずですからね。
娘がお腹いっぱいになったら、お母はんも残ったものを食べるつもりかもしれません。



※ 今回もいつもと同じように、イメージを伝えるために連続画像を使いましたが、
この手法では、シーンを分解して要所要所を解説することはできても、
このシーンの本当の素晴らしさは、実際に動いているところを見てもらわないと伝えきれません。
これまで紹介してきた他の作品でもいえることなのですが、この作品はとくに言っておかねばなりません。

ぜひこの素晴らしい動きをDVDで見てください。
このシーンと、次に紹介するぜんざいやホルモンのシーンは劇場版『じゃりン子チエ』に収録されています。




■お母はんとぜんざい屋で

劇場版ではぜんざい屋の前に、ゴジラの映画を観にいくシーンがありますが、
テレビ版では映画のシーンはなくなっています。

このシーンでも、劇場版とテレビではやや違いがあり、
テレビでは原作どおりの順番で小鉄が登場するため、劇場版よりもカット数が少なくなっています。

お母はんの迷っている姿が描かれているのは同じです。
先ほどの公園と同じく、暗いお母はんと明るく元気なチエちゃんの姿が対比的に描かれます。
そんなチエちゃんのぜんざいを食べるシーン。

原作では割り箸を割ったところで小鉄がでてくるので、食べるシーンは省略されてしまっていますが、
アニメでは食べるところをしっかりと描きます。


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そろそろ家に帰ろうかと思ってると娘に話すお母はんですが、
チエちゃんの答えは意外なもの。



チエちゃんは、ぜんざいのもちをぺろぺろと平らげながら、
「まだ会わんほうがええわ」と夫婦の仲をばっさり。
冷徹なまでのリアリズムが彼女の中を貫いているのがわかります。

そんな娘を不憫に思うのか。尊敬しているのか。
なんともいえない表情でみつめるお母はん。

ここで注目なのがこのカット。



最後のもちを箸でつまんだところで
カメラがチエちゃんの背後に回り込んだカットに切り替わり、
「背中で食べる」という見事な食事表現をみせています。


ドラマやアニメでは、食べる行為は普通はキャラクターを正面から捕らえて描きますが、
それも当たり前の話で、食事に使う器官‐口‐は、人間の正面についているからです。
正面から描けば、口にものを入れて噛むという表現のわかりやすさと、そこから生まれるダイナミズムを過不足なく得られるのですが、
この背面のカットでは、それら直接的な場面が見えない位置からわざわざ描くことで、逆に食べる行為の力強さを水増しして表現しています。
そしてそれは、主人公チエちゃんの力強さをも水増ししています。

同時に、この背中からのカットは、ふたりの関係を描くのにも一役買っています。
チエちゃんの力強い肩越しに母親の表情を捉えることで、弱い母親の正面顔にピントをあわせ、
さらには、チエちゃんにもピントを合わせてもいるのです。

このシーンでは、母親の弱さに対し、その弱さの犠牲になっているはずのチエちゃんの口から
大人顔負けの冷静な分析がでることで、母親が娘に対して感心するというか、
ある種、畏怖の念といえるような感情さえ抱くというシーンなのですが、
このときの正面からとらえたお母はんの目は、驚きとも悲しみとも、あるいは警戒ともつかない不思議な目をしています。
おそらくいろいろな感情が混ざっているのでしょう。
そして手前には、比較されるようにチエちゃんの豪快に食べる背中が。
お母はんの視線の先のチエちゃんの顔は、視聴者からは見えません。
見えないからこそ視聴者はチエちゃんの表情を覗きたくなります。

その期待に応えるかのように、ここで一度チエちゃんが顔をみせます。
お母はんが見つめていた大人の顔のチエちゃんです。
しかしすぐにまたその顔は見えなくなります。
チエちゃんがぜんざいの残りをかき込んだので、
顔がおわんの陰に隠れてしまいます。


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妙に大人っぽい一面を見せたかと思うと、
子供らしくぜんざいをかきこみ、口にあんこがついたまま
「ああ、おいしかった」と無邪気な笑顔をみせるチエちゃん。

このときのとびきりの笑顔が出現するまでのプロセスが、
「いないいないばぁ」の動作に似ていることも、決して偶然ではないでしょう。

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そんな娘をみるお母はんの顔もほころびます。
その顔はどこかしら、娘の子供らしさを発見して、安心しているところがあるようにも思えます。
そしてこのときのお母はんの気持ちは、視聴者の気持ちともシンクロしているはずです。



こういう多角的な意味と複雑な構造をもつ表現は、直感からは決して生まれないものだと思います。
逆説の論理や、数値の増減や高低の差し引きなどの計算が働いて生まれる心憎いカット。
そしてそのカットの連続によって巧みに誘導される視聴者の視線。
これこそは高畑勲の緻密な演出姿勢の産物なのです。



■アントニオの好物

この作品では欠かせないキャラクターであるアントニオジュニア(略称ジュニア)は、
作品初期にでてきた虎縞の猫アントニオの息子です。

生きているアントニオの出番は本当に短く、原作では1話限りしか出てきません。
あとは剥製として登場することになってしまうからです。

しかしテレビアニメ版では、アントニオの描写がいくつか増えていて、
このお好み焼きシーンもそのひとつ。
のちにアントニオは「お好み焼きが好き」という設定が原作のセリフがにでてくることから、
それを映像化したものと思われます。

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鉄板でお好み焼きを焼くアントニオ。
焼きあがったお好みを、コテを使って上手に切り分けていきます。

飼い主の百合根といっしょにお好み焼きを焼いて食べるその姿はまるで人間。
しかし所詮は猫ですね。最後はコテを使わず手づかみで食べています。




作品中では、不憫な扱いのアントニオですが、
せめてアニメ版だけでも、お好み焼きを食べさせてあげることができてよかったと思います。
ちなみにご存知の方も多いかもしれませんが、猫は四肢動物といって四本足で歩く生き物です。



■遊興倶楽部のカチコミ

食事シーンの多い『じゃりン子チエ』ですが、
その中でも、もっとも圧巻の食事シーンが拝めるのがこの場面です。
TV版にも劇場から転用されたこのシーンが遜色なく入っています。
原作にはこの食事シーンは省略されてしまってるので、これはアニメ版だけの見所。
そしてここでは、アニメーションの特性をフルに発揮した表現がされています。

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営業中のチエちゃんの店に、ヤクザたちがやってきます。
テツのバクチの借金を取りたてにきたのです。

チエちゃんには、テツが外で何をやってるかはわからないし、
あまり知りたくないのでしょうけども、いくら見ないフリをしていても、
こうして現実は向こうからやってきます。

かなりキツい状況ですが、チエちゃんは動じません。
それどころか、どこか他人事のようなチエちゃん。
現実を直視しないからこそ、今日を生きていくことができるのかもしれません。
それも彼女のたくましさのうち。

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ここでは厨房の裏側も少し描かれます。
客の残したホルモンを捨て、皿洗いをする描写も。
残り物のホルモンは小鉄にやったらいい気がしますが、
手で串を掴んで食うような猫ですから、残飯などには手をつけないのかもしれないですね。


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仕込んであるホルモンの串をガス台に置いていくチエちゃん。
その動作の描写が細やか。

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「なんか知らんけど ホルモン食べてもろたら うち儲かる」

いつのまにか、取立てに来た連中を相手に商売しています。
ちゃっかりしてますね。
そんなチエちゃんにすっかりペースをつかまれたヤクザどもの食事シーン。



まず百合根がひざに乗せたアントンとそっくりの食べ方をしています。
このふたりは登場時から顔とポーズがそっくりなので、食事でもそれを反映させた相似形の食べ方です。

しかし相似形のはずなのに、アントンだけホルモンを手で押し込む動作が一瞬加わっています。
これは「猫の口が人間より小さい」という些細な事実さえ見逃さない高畑監督の徹底したリアリズムが反映されている箇所であり、
ここは瞬時に流される箇所なだけに見逃せないポイント。




ホルモンに次々喰らいついていく男たち。
端からモリモリ食っていく者もいれば、
串からホルモンをまとめて引きちぎるように食べる者も。
あげく口に入りきらないので指で押し込む様まで描かれ、ホルモンの重量感を増しています。

口に押し込む動作は、先ほどのアントンの食べ方ですが、その必要のない人間にもわざわざ同じ苦行を課すことで
彼らの食欲や迫力を表現する演出として作用しています。
こってりしたホルモンに、濃い顔をした男たちが脂ぎった食欲を爆発させるような描写は暑苦しいことこの上なし。


このこってりしたホルモンをほおばった状態で、口にタレをつけたまま酒でガンガン流し込みます。
酒の減り方をみると、かなりのハイペース。
これが焼酎のストレートなら急性アル中になりかねない飲み方です。

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奥でもりもり食ってる手前に、チエちゃんが酌をする酒瓶が割って入ります。
これらのカットが畳み掛けるように見る者を襲ってきて、実に迫力満点の食事シーンです。




テツを待つ間にさんざん飲み食いして、すっかりできあがってしまった遊興倶楽部の面々。
これからあのテツを相手に大立ち回りをするには少し油断しすぎの気もします。


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借金取立てに来たヤクザのくせに、律儀に飲食の代金を払ってしまう百合根。
悪漢にはなりきれない人のようです。

この直後に大きなハプニングがあり、百合根の人生は大きく変わることになります。



■劇場版との関係

第三話も、ほとんどが劇場版からの流用シーンで構成されているので、ほぼ高畑監督の作品といえる回です。

ただし、細部では高畑勲のセンスや演出理論が光っていますが。
全体としてみると高畑勲監督の意図が必ずしも反映されているわけではないので、
これはやはり、劇場版を再編集して作った別人のフィルムということになると思います。


たとえば、今回第三話で描かれた公園でのボートの揉め事は、原作に準拠したものですが、
劇場版では、このシーンはボートがぶつかるところまでしか描かれていません。

このボートのカップルともめている最中の描写は、
チエちゃんという主人公が、いくらおめかししをしていても、
やっぱりテツのDNAをうけついだ爆弾娘であることが確認できるシーンであったはずなのですが、
映画では、(尺を詰める理由が主だったのでしょうが)バッサリカットしています。

ぶつかるボート 

ただ、カットするならばボートの衝突シーンごとカットすればよいものを、
高畑勲監督はこの映画に、原作でボートがぶつかる瞬間の2回のシーンの2回ともを、わざわざ入れています。
それがこのシーンに独特のリズムを生み出していました。

同じ描写に、特定の位置でハサミを入れることで、別の意図を生み出しているといえます。
生粋の理論派の高畑監督ですから、これにはなんらかの堅苦しい意味があるのかもしれませんが、
ここは理論よりも、リズム感といった監督のセンスに拠った演出手腕が発揮された箇所に思えます。



■ 百合根とアントニオ


今回紹介した百合根光三は当初、血の気の多い極道として登場しました。

しかし登場早々、飼い猫のアントニオがこの世から去ってしまい、
「アントニオが死んだらわしも死ぬ」という言葉どおり、
極道の百合根もそのとき一緒に死んでしまったのです。

血の気が抜けた百合根は、その後お好み焼き屋のおっちゃんとして生まれ変わり、
『じゃりン子チエ』の中でも一二を争う人の良い人物として、皆に親しまれるキャラになります。


百合根には、極道の生業をやっていたため妻子に逃げられたという過去があります。
彼は、猫という仮の家族を得ることで、強い自分をつくりだして自らを支えていたのでしょう。
猫と一心同体の強い百合根光三は、そういった寂しさの裏返しの姿でもあったのです。

古代ローマの闘士になぞらえてつけられたという「アントニオ」という猫の名前は、
百合根の勇猛果敢な部分の象徴でもありました。
ですからアントニオという百合根の一部を構成していた要素が抜けてしまったら、強い百合根像もあっけなく消えてしまいます。


072057 

酒が入ると、アントニオの魂が降りてきたのか、百合根の極道の血が戻ってきますが、
それ以外では動物を愛する気のいいおっちゃんです。

私も『じゃりン子チエ』の中で一番好きなキャラクターはこの人かもしれません。

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