スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


巨人の星 第1話 「めざせ栄光の星」

title-kyojinnohoshi 

■ 飲んだくれ星一徹

巨人の星第1話04 
場末の一杯飲み屋で、くすんだ色のジャケットを着たしょぼくれた中年男性が、ブツブツとなにやらいっています。
歩むべき道を踏み外した者の末路。彼は人生の敗北者です。

巨人の星第1話02 巨人の星第1話02b.jpg 
飲んでも飲んでも酔えないのか、どんどん荒れていきます。

 
コップに浮かぶのは自らの若き日の姿。
過ぎ去った栄光。

この男、星一徹は元巨人軍の選手で、
戦争で肩を壊しさえしなければ、史上最強の名三塁手となっていたはずの人物でした。

巨人の星第1話07        

時を同じくして都内の超一流ホテルでは、大学野球から鳴り物入りで巨人軍に入団した長嶋茂雄の記者会見が行われていました。
一徹のすぐそばの席で飲んでいる客たちも、大型新人長嶋の話題でもちきりです。
このことから、この出来事が1957年暮れのことだとわかります。

巨人の星第1話05 tobichirusake 

長嶋の話を耳にしたとたん。
一徹は、飲んでいた酒を壁にぶちまけます。

巨人の星第1話06 
「だがな・・・誰がなんと言おうとも あの飛雄馬の奴だけは大物にしてやるぞ!」

自分を納得させるように言い放って倒れこむ一徹。
このときのセリフは酒乱のたわごとにしか聞こえませんが、彼は本気も本気。
風が吹こうが雨が降ろうが酔っていようが星一徹はいつでも本気です。

一徹が荒れていたのは、息子が自分に逆らったことに端を発していましたが、
元をただせば、(自分と同じ名三塁手として)巨人軍に入団したスーパースター長嶋のニュースが世間を騒がしていたからでした。
巨人を追われた一徹にはそれがどうしようもなく癪でしたし、なによりも惨めなのは息子が自分のその気持ちを見抜いていたことです。
息子に図星を突かれた一徹は、荒れずにいられなかったのです。

一徹が酒場で荒れ狂っていたその頃、
超一流ホテルでは一徹をさらに荒れさせる出来事が起きようとしていました。
長嶋に逆恨みした飛雄馬が記者会見場に乱入し、その様子がTVに流されてしまったのです。  

 巨人の星第1話08 
一徹譲りの”魔送球”が長嶋を襲う

巨人の星第1話09 
その事件を知って、TVを壊して暴れまわったあげく酒瓶片手に寝入ってしまった一徹。

巨人の星第1話10 
この惨状のなかで、父の無念を思い抱き合って耐える姉弟。
大の字になりながら、自分のふがいなさに涙する父。
野球大河アニメ『巨人の星』は、このような荒廃した状況からスタートします。

この直後、いまは巨人軍の監督となった一徹の盟友、川上哲治がひっそりと星家を訪れます。
一徹の荒んだ生活を覗き見た川上は、魂を込めた無言の挑戦状を星親子に叩きつけるのでした。
このときから運命の歯車が静かに、力強く回り始めます。



『巨人の星』
放送期間:1968年3月30日 - 1971年9月18日(全182話)

原作:梶原一騎(作)、川崎のぼる(画)
演出:長浜忠夫、出崎哲、小林きよ子、小林かおる、斉藤博、石川輝夫、奥田誠治、吉田茂承、斉藤望、吉川惣司、御厨恭輔
脚本:松岡清冶佐々木守伊上勝辻真先、斉藤次郎、松元力、島修司、さわきとおる、吉田喜昭、山崎晴哉、宇佐美寛、伊東恒久、林すみ子、鈴木良武、竹内泰之、吉田茂承、斉藤望、金子裕
作画監督:楠部大吉郎香西隆男椛島義夫、斉藤博、遠藤正史
音楽:渡辺岳夫

制作:よみうりテレビ東京ムービー
制作協力:Aプロダクション、映音、東洋現像所
 以上(巨人の星- Wikipediaアニメから抜粋)


週刊少年マガジンで連載された野球漫画のTVアニメ化作品です。
(連載は1966~1971年)。
少年マガジン誌上では、同じ原作者である『あしたのジョー』(高森朝雄名義)が68年に始まりますが、
この時期、同じ雑誌の看板漫画2本がふたつとも梶原一騎原作というとんでもない状況でした。
いかに梶原が偉大だったかということを現している逸話です。

あしたのジョーはアニメが原作に追いついてしまったため途中で番組が終わってしまい、続きが作られるまでに10年近くを要しますが、
巨人の星は3年の長きに渡り飛雄馬の死闘を最後まで描ききりました。
同じスタッフが3年間も持続し盛り上げてきたテンションでフィニッシュまで完走した美しさというのは、
平均1~2クール。長くても4クールでいったん終了する最近のアニメではなかなかお目にかかれないスタイルゆえのものだと思います。

とくに原作と違った展開を迎えた最終回の出来栄えは素晴らしく、
時間をかけて積み上げてきた物語をしめくくるのにふさわしい、完全な作品のみがもつ美しさがあったと思います。
(梶原先生は話をまとめるのが苦手なようで、『あしたのジョー』でも作画のちばてつや氏にラストを変更されています。)
全182話ともなると視聴はかなり大変ですが、その価値はある名作中の名作です。



■ 不死鳥の親子

第一話にこの作品を象徴する出来事が描かれています。
のちに巨人のエースとなって活躍する主人公飛雄馬と、その前にたちふさがる鬼の一徹ですが、
ここで描かれているのは、そのりりしい両者の姿からは想像もつかない惨めな姿です。


zuboshiwotsukuhyuuma 
「自分の果たせなかった夢を子供の俺に果たさせようなんて勝手だよ!勝手すぎるよ!」

zuboshiwotsukaretaittetsu
 
「よくも・・・ よくも言ったなあ・・・!」

図星を突かれた星一徹の怒れる目からあふれでる涙が哀れです。
飲み屋で飲んだくれているのは、この直後の描写なのです。


『巨人の星』は、星飛雄馬の成長のドラマでしたが、
同時に野球の鬼、星一徹の復活のドラマでもありました。
酒びたりで廃人同然の一徹が、息子のおかげでもう一度人生を野球に賭けることができたのです。

一徹の考え方はかなり身勝手です。
親のやり直し人生のだしにされた息子はたまったものではありませんが、
その名の通り、一徹された父の揺るぎない姿勢は、息子を力でなく心で従わせるのに十分な説得力を持っていました。
物語の中で、野球マシーンとして育てられた飛雄馬がそのことで悩む描写が何度かでてきますが、
たとえ一徹が夢破れた廃人でなかったとしても、結果は同じことだったと思えます。

自分の夢をかなえる生贄として、野球の神に息子を捧げなかったとしても、彼の息子はやはり野球マシーンになっていたでしょう。
一徹の人生観はそれほどに強く、首尾一貫された哲学に支えられているからです。
野球こそ、男が唯一人生を賭けるに値するもの。野球こそ全てだと。

作中で主人公の飛雄馬は何度も挫折を味わい、そのたびに不死鳥のように復活をとげます。
しかしその不死鳥の羽は、少年時代から時間をかけて父一徹がつくろってきたものです。
そして一徹も一羽の不死鳥として蘇り、親子鷹は羽を休める暇もなく、互いの野球人生を賭けてぶつかります。
その軌跡は二羽で一組の二重螺旋を描くように天へと上り、さらなる高み「巨人の星」を目指すのです。

巨人の星第1話01 

■世間の評価

私は子供の頃に、再放送でこの作品を夢中で見ていましたが、
巨人軍に入団する前のエピソードは貧乏臭く陰鬱なのが嫌いでほとんど見ていませんでした。
しかし今見てみると、初期の貧乏臭い一徹や飛雄馬の姿にのひきつけられずにはいません。
世間の蔑みや誤解を乗り越えつつ、信じる道を目指してコツコツと礎を積み上げていく星親子の姿に共感し、あるいは感動し、考えさせられるのです。
この番組の放送前の制作発表で「アニメで人生を教える」というキャッチフレーズをぶちあげたら、
集まった記者に「アニメなんかに人生を教わりたくありませんよ」と軽くあしらわれたという話があります。
私はこの話を聞いた子供の頃、そりゃそうだと笑っていたのですが、大人になったいまになって思うのです。
『巨人の星』は本当に人生を教える作品だったんじゃないかと。
挫折のたびにもがきさまよう飛雄馬の姿を通して語られる禅問答の教えや、朝日を浴びて恋人の死を乗り越える姿には、
誰もが社会を生きるうえで大事な気づきや宗教的な悟りがあり、
『巨人の星』ではこれらの教訓を、物語を通してでしか伝えられないものにまで昇華させ視聴者に訴えかけています。
さらに飛雄馬を影から支え導く、一徹の厳しくも愛情ある姿。
大げさでなく星一徹は人生の師として実に尊敬できる人間です。
こういうと、作者の梶原一騎先生を尊敬すればいいとお思いかもしれませんが、
梶原先生は言行不一致な方で、なによりヤクザすれすれの危ないお人でもあり、必ずしも尊敬に値する方ではありません。
しかし彼が生み出した首尾一徹した男、星一徹は違います。
男子として生まれた全てのものが目標とすべき人物がいるとするならば、一徹はその理想のひとつの形となりえる存在なのです。

-----------------

さて、野球漫画としての評価はどうでしょうか。
いうまでもなく『巨人の星』は野球漫画の名作として有名です。

漫画評論家の夏目房之介は、『巨人の星』の魔球対決の流れを、先行の野球漫画『ちかいの魔球』(原作福本和也、作画ちばてつや)のパクりだとして梶原一騎を批判しています。
(参考:巨人の星- Wikipedia「ちかいの魔球」との類似点
ただ、ここで大事なのはwikipediaから引用すると以下の部分です。

その一方で夏目は、「ちかいの魔球」にない「梶原一騎的」な部分こそが「巨人の星」の名作たる所以と、「巨人の星」の価値も認めている。

さらに、野球漫画の名手である水島新司先生がこの作品をライバル視し、野球のリアリティの観点から、たびたび批判をしています。
批判とは自分に跳ね返って、はじめて批判足りうるもの。
これは野球を骨の髄から愛する水島先生だからこそ許される「批判」だと思います。

しかし、水島先生の最初のヒット作である『男どアホウ甲子園』では、
水島先生が野球の試合シーン以外のドラマを作るのが苦手だったために、編集部がドラマ部分を膨らます脚本家(原作者)をつけています。
その脚本家こそが、アニメ『巨人の星』でもメインの脚本家のひとりとして活躍した佐々木守氏であったことは皮肉だと思います。
そして先ほどの夏目氏の言も含めたこれらのことが、『巨人の星』がどういった漫画であったのかを如実に語っているともいえます。

そうです。野球をダシにドラマを描き、そして人生をも語ってしまう作品が『巨人の星』だったのです。
荒唐無稽な魔球の数々や、幾多のライバルとの華々しい対決も、「人生とはなんぞや」と説教を繰り広げるための装飾品にすぎません。
だからこそ彼らの投げる球には血潮が通い、振るバットには魂の重みが感じられるのです。
『巨人の星』は野球漫画であって野球漫画ではないのです。

この記事に対するコメント


お邪魔いたします。
素晴らしい分析に敬服いたします。

【2014/10/11 20:16】URL | まん #-[ 編集]

この記事に対するコメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

この記事に対するトラックバック

トラックバックURL
http://gugugu001.blog70.fc2.com/tb.php/99-15c3f4fe
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。